続・神々の杜

  式内社 波宝神社 はほう
大和国吉野郡古田郷

祭 神:住吉明神(底筒男命、中筒男命、上筒男命)
 神功皇后(息長帯日売命)
    

 
鎮座地:奈良県五條市西吉野町夜中銀峯山176番地

吉野三山の一、白銀岳に鎮座する波宝神社は、
古来隣の黄金岳に鎮座の波比売神社と密接な関係があったようだ。
天安2年(858)3月28日付けで、従五位下波宝神・波比売神が初めて官社になったのが同時なら、貞観8年11月4日に従三位を下賜されるまで同じで、
あたかも夫婦神のような扱いを受け、同時に進階している。
鎮座している銀岳・金岳も南北に近接しており
まさに夫婦岳のようである。
 本  殿    
     
 
 
 手水鉢の神紋
左:桜花紋/右:16弁菊花紋
 祭神について『大和志料』には祭神不詳とあるが
  「波寳神社志お里」では住吉明神、神功皇后とされ、附記には
「元官幣大社大阪住吉神社と全く同一の御祭神です」と記されている。
 拝殿から見下ろした境内  
   
銀峯山のある奈良県五條市西吉野町は、西吉野村が、大塔村と共に五條市に吸収合併されて誕生した。
その以前の西吉野村は、白銀村、賀名生村、宗桧村の三村が合併して誕生した村であった。
この旧『白銀村史』から、波宝神社の記事の一部を以下に記す。
【波寳神社】(※波寳神社の古訓は、ハハフ或いはハホ)
波寳神社は白銀嶽に鎮座す式内郷社なれども祭神創祀等明瞭せず社壇は寛文十二年十二月の改築にして文政元年六月に拝殿を造榮したり中世は神宮寺の保管に属し社僧義仙の時に神饌所(嘉永七年七月)と社務所(天保十三年八月)とを再建す以降幾多の星霜を経て王政復古と共に神仏混淆の獘を脱し獨立となれり
この霊域に嚴島神社(狭依毘賣命)稲荷神社(宇賀御魂命)事比羅神社(大國主命)水神社(彌都波能賣命)菅原神社(菅原道眞公)等あり其他神饌所には應神天皇を崇敬し祖靈社は明治十二年五月に新設せられて村内神道家の祖先を合祭す又本社より六町南方に御旅所ありて例祭の際神轝を渡御するところとせり―白銀村史―ママ※ MARUYA 注
[波寳神社志お里]より部分抜粋
●鎮座地 奈良県吉野郡西吉野村大字夜中字銀峯山一七六番地標高海抜六一二米の高地に鎮座まします。
●式内郷社
●御祭神 住吉明神 神功皇后
●社有地 境内地一七六七坪
●社有林 六町九段一畝
由緒並びに沿革の概要
御鎮座及び創立は不詳なれど明治二十三年奈良県訓令第一二八号に基き…中略…各氏の調査したる神社明細帳によれば左記の通り記録せられている
当神社旧記は中世兵乱火災等に依り亡滅し事績詳ならずと雖も氏子旧家の記録に存するもの及び郷土人の口碑伝説に依り其の一、二を掲げん…以下略。
波宝神社神宮寺名は海部峯寺か―――
旧・西吉野村の郷土史研究家は、「孝謙女帝の頃、750年位に海部峯寺が銀峯山に建てられたとする土地の口碑があった」と記しておられる。確かに、ここの宮寺として“あまべのみねでら”という寺名はぴったりとくる。というのは、この辺り吉野の山々には、海の記憶が濃厚に残されているように思うからである。例えば、銀峯に南接する竜王山には海津神社。銀峯・金峯の波宝・波比売の神社名。また、波宝神社の祭神は海に所縁の住吉三神とされている。
ちなみに、吉野町河原屋の大名持神社・神宮寺は「大海寺」であった。吉野の山奥いたるところに、いにしえの海の残照があるようなのだ。
― 関連頁―
波宝神社・秋祭り    小竹宮・波宝神社 
波宝神社(1)   波宝神社(2)
波宝神社の冬   白銀岳の冬
吉野三山と三神社   竜王山と銀峯山 
 
 山頂広場入口  
   
 
 境内入口の大鳥居  
   
   
 銀峯山から北方の眺望 遠景は金剛・葛城山系  


かみがみのましますもり  続・神々の坐す杜  60.平成23年3月5日    
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