八咫烏神社(宇陀郡)
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奈良県宇陀郡榛原町高塚
祭 神:建角身命
榛原町芳野川西岸に鎮座。

「延喜式神名帳」宇陀郡「八咫烏神社 鍬靫」
とされる(大和志)。
「続日本紀」によると慶云二年(705年)に勅祭されたことがわかる。社殿はもと石造小祠であったが文政年間(1817〜30)頃に現在の春日造りとした。その祭文を下鴨社神官鴨県主春武が扁額に記していた。
           (寺院神社大事典/平凡社)

皇祖・神武天皇が、熊野より賊軍を征伐されようとして、道なき峻険の山々をかきわけ、宮居を定めようと、伊那佐の山にお登りされようとした時、この土地の豪族で威丈夫の武角身命が全身黒い衣をまとい、高い木から木へと飛び移って、宮居の方に天皇をご先導申し上げた。その姿があたかも八尺もある大烏のようであったので、天皇はその勲功をめでて八咫烏の称号をお与えになった。
慶雲二年九月、天武天皇が武角身命を祭神として、当社と指呼の間にある伊那佐山麓のこの高塚(鷹塚)に八咫烏神社をご創建して祀られた。
三本足の烏を当社の絵様とし、また、山城国下鴨神社の旧神宮は鴨の県主で、当社の祭神武角身命の苗裔である。従って葵を以って両社の神紋とされた由緒はここにある。                           
     以上、「八咫烏神社略縁起」看板より