吉野の四季/下市の秋
稲穂も豊かに色づいた秋津野
![]() |
吉野郡下市町善城、秋野川 |
![]() |
赤く色づく、社前の木の実 |
![]() |
『奈良県吉野郡史料』下巻下市町「神社」の項に、 「熊野神社ハ大字平原字鳥尾ニアリ祭神ヲ事解男命トス本社ハ往昔紀國牟婁郡有馬村ニ祀ル速玉神社ノ祭神速玉男命事解男命伊弉冊尊ノ三柱ヲ以テ熊野三所権現ト稱シアリシヲ故アリテ僧西了ナル者慶長三年二月特ニ三柱ノ内事解男命ノミヲ遷シ祀リテ之レヲ熊野神社ト稱セリト」とある。 つまり当社祭神は、紀伊国有馬村速玉神社三所権現の一、事解男命を西了という僧侶が遷し祀ったというのである。しかし現在の熊野三所権現(熊野三所大神社)の祭神は、家津美御子大神・夫須美大神・速玉大神となっている。上記吉野郡史料に記された内容がもし正しいとすれば、往古熊野の三所権現というのは、速玉男命・事解男命・伊弉冊尊であったということになる。ちなみに『大和下市史』でも、熊野三所権現より分祀し遷し祭ったと記されている。「故アリテ…事解男命ノミヲ遷シ祀リテ…」とある「故」とはどのような事情があったのだろうか。 当社はもと熊野権現といわれていたが明治初年、現在の熊野神社と改められたとされ、 この地は下市から十日市・賀名生・十津川へと続く熊野への裏街道(丹生街道)に面している。 またこの社前の道は、銀峯山への尾根道で波宝神社の参道にもなっている。ちなみに有栖川宮韶仁親王 はこの道を通って祈願所であった波宝神社へ参詣したと考えられる。 |
![]() |
||
拝 殿 | 本 殿 | |||
![]() |
![]() |
|||
境内入口 | 鳥居から石段が百六十数段続く |
吉野の四季/下市の秋 平成20年10月15日掲出 戻る