V 古代の政治と吉野の地理特性

V-1 古代王権と吉野
 古代の王権と吉野の結びつきの初めは、文献からいえば『書紀』にみえる神武天皇の吉野入りの時からであろうか。この時には、いわゆる吉野の三部族が天皇に恭順の意を示して迎えている。その次は応神天皇の吉野行幸で、この時は国樔人が天皇に禮酒(こざけ)を奉って歌を詠んでいる。 
『奈良県吉野郡史料』下巻によれば、『先代舊事本紀』第二十二巻に、「新羅から凱旋した神功皇后は五條須恵で戦勝報告の祭器や供物を整え、丹生川をさかのぼって白銀岳波宝神社に詣でた。」ということが記されているというのだが、不明。(筆者は残念ながら原文で確認できていない。舊事本紀は十巻本、三十巻本、三十一巻本、七十二巻とあるようである。筆者が見たのは十巻本のみなので記載はなかった)神功皇后皇后その人は、実在が疑問視され、架空の人物だとするのが通説になっているが、何人(なにびと)かの投影ではないかとする考えは否定できないと思う。

 この次は雄略天皇である。『書紀』雄略天皇二年冬十月に、吉野宮に行幸した記事がみえる。この時は御馬瀬(みませ)で狩をしている。その次は、斉明天皇で、二年に吉野宮を作り、五年三月には吉野へ行って宴会をしているが詳しいことは語られていない。

 その次はよく知られている天武天皇、そして持統天皇と続く。
 ここまでは吉野と王権の特別な関係は見られないが、天武・持統と吉野の関係は特別なものがあるように窺われる。(天武・持統と吉野のかかわりについては、第二節で述べたい)
 天武天皇は即位前を含めて二回、持統天皇は即位前後を含めて三十四回吉野行の記録がある。続いては文武天皇が二回、吉野離宮へ行幸。これは『続日本紀』での「吉野離宮」の初見である。

 その後はしばらく天皇と吉野の関係記録は途絶える。元正天皇の七二二年に、芳野郡に初めて大領、少領各一人、主政二人主帳一人、合わせて五人の役人を置いているので、この時も吉野人との何らかの接触があったのではないだろうか。時代は下がるが『続日本後紀』に吉野郡大領吉野連豊益の記事
(注十四)がある。
 七二三年、元正天皇芳野宮に行幸。
 神亀から天平時代(七二四〜七三六)に、聖武天皇は三回芳野宮へ行幸している。この時代に芳野監が置かれたようである。その後、天皇の吉野行幸の記録はない。

 古代の吉野は花の名所ではなく、山や川など風光明媚な理想郷として羨望されたようだ。だが一方、王権から見ると、山また山の山塊から得られる鉱物資源が大きな魅力であったようである。この時代の吉野には鉱物資源から得られる財力が豊富にあり、そこに住む人々は純朴にして忠実で身体も頑健であった。彼らは山野を跋渉し、狩に長じるなど弓も巧みで得がたい兵力だったのである。事実、後の時代まで吉野人は王権の守護兵としてどこへでも馳せ参じた。

 また鉱物資源について述べると、『奈良県吉野郡史料』中巻には、郡内に五十二箇所の鉱山が記され、四十六の鉱山名が挙げられている。いずれも大正八年(一九一九)頃の記録で、鉱種は銅と硫化鉄で含銅硫化鉄鉱床とされている。
 このように吉野には驚くほど多くの鉱山があったが、それは中央構造線の真上という地理的条件にあるからといえる。大部分が銅鉱山であるが、銅鉱脈には少量だが金・銀も含んでいる。また、同じ鉱脈から辰砂も採れるといわれている。

 ところで地名からみると、往古には銅はもちろん、金・銀そして丹(硫化水銀)といわれる辰砂をも採掘していたのではないかと推察できる。西吉野方面の地名には、金・銀・銅の吉野三山、丹生川上神社下社のある旧丹生村や丹生川など、いずれも鉱物を連想させるものがある。「黄金岳」の山頂には式内波比売神社と金山寺、金岳八幡宮があった記録がある。また吉野山には金峰山寺と金峯神社があって、金峯山寺の本尊は金剛蔵王権現。金峯神社の主祭神は金精明神(こんしょうみょうじん)といい、いずれも金鉱山の守護神だという。このようにいい伝わるほど、吉野には鉱物資源が豊富にあったようだ。

 地理的にも吉野の地は、交通の要所でもあった。飛鳥から程近く、南へは熊野へ出て南海に繋がり、西へは紀伊から和泉の海にでられる。東に向えば高見山地を越えて伊勢の海へ行ける。いずれも水運が利用できるのがこの上なく好都合である。熊野の海へは十津川・熊野川。和泉の海へは吉野川・紀之川。伊勢の海へは櫛田川といった具合である。
 また、軍事的にも要衝といえる地形で、守るに易しく、いざとなれば
吉野の奥から熊野の山塊に逃げ込めば、容易に捕らえられることもない。
 吉野の地は、正に王統の作戦本部にふさわしい条件を備えていたのである。

――――――――――――――――――――――――――――――
(注十四)『続日本後紀』嘉祥元年(八四八・承和十五年)十一月辛未十五
辛未。大和國吉野郡大領吉野連豊益。依政績有聞。借授外從五位下。

戻る