U 吉野の宗教的特性

U-1 神仙思想と岳信仰
 古代の人々は自然の中に神を見た。住み着いた地の秀麗な山を神と崇めた。沢伝いに鉱脈を求めてやってきた先史吉野の開拓者達は、その神奈備山に神が住むと信じた。
 奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社などに見られる神体山信仰の原形が吉野にある。それは、吉野三山
(注十一)と呼ばれているもので、黄金岳、白銀岳、銅ヶ岳の三つの山で、地元では親しみを込めて「岳さん」と呼んでいる。
『御所市史』大穴持神社の項には、「社名や祭神が示すように三輪明神即ち大神神社と同系の神社であり、本殿・神殿のない所も同様であるが、ここには三輪山にあたる山がない。しかしずっと向こうを見ると、はるか彼方にかっこうのよい円錐形の山が三つ並んで見える。西吉野の金峰、銀峰、銅峰と呼ばれる橡原・白銀・櫃ヶ嶽であろう。これは明らかに原始信仰を物語るもので、三輪信仰の原初の形を留めるものと見られる。と同時にこの吉野の三山が山霊を祀る最も古いものであることを物語るものではなかろうか。」と記されている。実際これら三つの山は古代より岳信仰の霊峰として崇敬されて来たのである。
 どこの国でも山は古来より聖なる場所とされていたのだった。

 こうした日本の古い古神道的な山岳信仰が、神仙思想の道教、奈良時代の学問仏教と習合し、日本独自の宗教として発達をとげたのが修験(道)で、その開祖とされているのが役小角である。特に吉野や熊野地方は、山岳修行者の霊地とされ、山伏、修験などと呼ばれている修行者らが活動していた。中でも吉野の金峯山は有名である。彼らが尊崇する蔵王権現は日本の山岳信仰の原点であり、この神とも仏ともつかぬ神格は、金峯山寺の本尊である。その威容は、頭髪は逆立ち、目を吊り上げ、口を大きく開いた忿怒の形相で、右足を高く上げて空を踏んでいる。この蔵王権現は役優婆塞(えんのうばそこ)小角が祈り出したものと伝えられる。
 ところで、道教と仏教はどちらが早く日本に伝来したのだろうか。

 仏教の公伝は、『書紀』の記事にもある通り、一般的には欽明天皇十三年(五五二)の伝来とされている。
 このことについて、『朝鮮と日本の古代仏教』の著者、佛教大学教授・中井真孝氏は、「仏教伝来の年次について、欽明天皇の戊午年(つちのえうま)(五三八)と壬申年(みずのえさる)(五五二)の両説があり、今日の学界では、継体天皇から欽明天皇にいたる紀年論と絡み合わせて、前者のほうが古い伝承で、史実に近いと考えられている。」としながらも、「仏教の公伝が欽明朝より以外の時期にあったというのではない。私は、仏教が私的に――渡来人という個別、または北九州という地域の限定をもって――五世紀後半にはわが国へ伝えられていたであろうと積極的に推論するが、それはまだ政治的に社会的に重大な影響を与えるには至らなかったと思われる」(引用終わり)。
 つまり、西暦五〇〇年以前に、すでに一部の民間には伝来していたであろうといわれているのである。おそらくその通りだと思う。

 また道教は、仏教と同じ位の時期に伝来したとされる。しかし、『書紀』に、天武天皇四年(六七五)春正月「庚戌。始興占星臺。」と、一月五日初めて占星台を建てるという記事がある。占星台は星を観察する櫓なので、六七五年以前に道教が伝来していたであろうことは分かるが、それ以前の記録はないので仏教より遅れての伝来であろうと思われる。

『懐風藻』の漢詩に見る吉野の風景は、まさに神仙の住まう都びと憧れの理想郷といえるものである。まさに古代吉野は、山紫水明の桃源郷とでも形容されるような処だったのだろう。

 平安時代に入り、最澄が比叡山、空海が高野山を開いてから、山岳に寺院が次々と作られ山岳仏教が栄えていく。とくに験力の獲得をめざす優婆塞といわれる在野の修行僧が、その頃山岳を跋渉して修行に励んでいたのである。そうして日本古来の岳信仰が、渡来の密教、道教、儒教の影響のもとに平安時代末に至って、役小角を開祖と仰ぎ、修験道という一つの宗教体系を作りあげていったのだ。吉野山には往時、尾根すじに百数十もの塔頭が金峰山寺を中心に軒を連ねていたという。その配下には僧兵が養われ、やがて強大な勢力となって、吉野を鎌倉時代の終わり頃まで治外法権的な地域としたのであった。
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(注十一)
吉野三山は、吉野地方に所在する三つの山の総称である。北のほうから南に、金・銀・銅 と単峰の三岳があり、現在の吉野郡下市町に所在の「黄金岳」、西吉野町に所在の「白銀岳」、同じく西吉野の「銅ヶ岳」をいう。いつの時代から吉野三山と言い習わせられてきたかは不明だが、この地方の人々に「岳さん」と親しまれ、古来より神奈備山として崇敬されてきた。『角川日本地名大辞典』櫃ヶ岳の項には、「櫃ヶ岳は、栃原岳(黄金岳)、銀峯山(白銀岳)とともに吉野三山をなす」とある。それぞれの山の頂上には北から順に、波比売神社・波宝神社・櫃ヶ岳八幡神社が鎮座している。いずれも明治の神仏分離令が施行されるまでは、金山寺・波宝神社神宮寺・雲仙寺という宮寺が附属していた。

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