五條須恵の杜
古代の条里制がその由来であるともいわれる五條だが、
古代、この町の中心部は、統神社のある須恵町あたりだだったのだろうか。
古代の宇智郡、現代の五條市域では、盛んに須恵器の製造が行われていたという。
統(すべ)は須恵につながり、この地名や神社名は古代の陶工集団の居住地にちなむものと思われる。
近年行われた「荒坂瓦窯群」の発掘調査によれば、6世紀初めからこの地域で須恵器の生産が始まり、
7〜8世紀にかけて、盛んに瓦の生産が行われ 、作られた瓦の多くが飛鳥の諸寺院や藤原京の建設に用いられたといわれる。
荒坂瓦窯は、7世紀後半に天智天皇の発願で建立された川原寺に使用した瓦を焼いた窯としても有名だそうである。(五條文化博物館)
統神社(すえ) | ||||
祭 神:誉田別命 鎮座地 :奈良県五條市須恵町2丁目 |
統(すえ)神社 (須恵町神宮寺) 須恵の丘陵に鎮座して南方吉野川方面を望む。祭神は誉田別命にして俗に八幡といわれている。 国史現在社で『三代実録』によれば、元慶五年(881)十月従五位下を授けられている。 当社の地名を神宮寺というのは神仏習合時代の名残である。 例祭は9月15日に執り行われる。 神殿は流造檜皮葺一間社で朱塗に極彩色を施してある。向かって左に春日造、右に流造の小末社と 石塔一対がある。拝殿は入母屋造檜皮葺で八幡宮の額を掲げてある。 本社の向かって左方に琴平社、木花咲耶姫社、市杵島姫社、稲荷社が順次並んでいる。 向かって右方に猿田彦社がある。これは入母屋造瓦葺で、もと仏堂であった。 ―五條市史より― ※但し猿田彦社の堂宇は、老朽化が激しく取り壊された。下の写真参照) |
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▲榧の古木 見越しの松かと見紛う、見事な形をした 榧の木で、9月、多くの実をつけていた。 |
▲猿田彦社 元は仏堂が建てられていたが 老朽化で取り壊されたといわれる。 |
統神社には駐車場無し お地蔵さまの前の木陰で一休み |
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五條市の本陣交差点は、国道310号、24号、168号線が交差する。 大阪から金剛山を越えてきた310号線はここが終点である。 また十津川方面へ向かう168号線は、この交差点が起点となる。 この交差点の北東角には、天誅組ゆかりの桜井寺があり、 南西角にこの道標が立てられている。刻まれている文字は、 次のようによめる―――――。 右 いせ はせなら 大峰山上 よしの 道 側面は、かうや わか山 四国 くまの 道 |
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▲本陣・地下歩道前にある道標 | ▲八王子神社 本陣交差点北西 | |||||
吉野川“やな”漁
やな漁は、簗漁と書き古代のアユ捕り漁法である。
『日本書紀』巻第三/宇治谷孟 現代語訳には次のように書かれている。
「川に沿って西においでになると、また簗を設けて漁をする者があった。
天皇が尋ねられると、手前は苞苴担(にえもつ)の子ですという。これらは阿太の養鵜部(鵜飼部)の先祖である。」
ここでいうところの「簗を設けて漁をする」のが、いわゆる“やな”漁である。
なお古代の漁法には、この簗(やな)漁の他、筌(うへ)漁などがあった。
▲ 吉野川に架かる大川橋(十津川方面へ行く168号線) | ▲大川橋下で楽しめる古代の漁法・簗漁 期間:9/15(土)〜10月下旬 |
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「やな漁」の幟とポスターが掲げられている | 参 照:●五條市HP「五條のやな漁」 |