サントー線(国道310号)沿いの杜
310線で、近鉄河内長野線・河内長野駅の手前のガード下をくぐり、石川に架かる橋を越えると、すぐに道路は右にカーブして急坂となる。しばらく行くと左手に桜で有名な河合寺がある。 さらに3キロほど行くと、次は役行者小角が開創して、後に空海が寺号を改めたといわれている観心寺に至る。 「川上神社」は、ここから更に2.5キロほど金剛山に向かって上って行った鳩原地区にある。 国道東南側の山麓に鎮座するこの神社は、『河内長野史』によると、 ●「[狭山藩領村方明細長]には氏神牛頭天王社とある。素盞嗚尊を祀る。むかし石見川・小深・太井・鳩原・鬼住・寺元・河合寺のいわゆる、観心寺七郷の氏神であったが、のち、観心寺境内に移転させられた。江戸時代になってもとの地へ復座させられたが、鳩原以外は氏子から離れてしまった…後略『大阪府全志』第四巻」とある。 社名は川上神社だが、もちろん吉野の丹生川上神社とは全く関係はない。 |
▲観心寺 大楠公像前 |
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すぐ近くには石川の支流、石見川が流れており、この社の鎮座地はこの支流がY字形に交わった中央に位置する。 静謐で清々しい空気の漂う、心地よい雰囲気の神社である。 |
▲奥に見えているのが拝殿 | 川上神社の杜 | ▲石段上正面奥に本殿 |
●境内の案内看板には以下のように記されている 川上神社は、もと鳩原神社といい、素戔嗚尊を祭神としていたが、河合寺神が丘、寺元二社、小深、太井、石見川の各神社を合祀して、いまの川上神社となった。 本殿の裏山に石で築いた円形の塚があって、御神体のように取り扱われている。 なお当神社では十月の秋祭りに「稚児相撲」が開催され、満1歳を迎えた子供が親に抱かれて出場する。行司立会いのもと名前を呼ばれた子供は、本殿前にてにらみあい、泣いた時点で勝負が決まる。子供たちの健康と幸福を願う行事であろう。 |