五條の八幡さん

八幡神社
祭 神:誉田別命
鎮座地:五條市本町1丁目(五條小学校西隣)



五條市東浄 八幡神社
五條小学校に接する森に鎮座し、由緒不詳。誉田別命をまつり、元無格社である。神殿は欅の大木のもとにあって春日造一間社、檜皮葺で極彩色を施してある。
社頭の石柱は文化十一年(1814)二月吉日に納めたものである。
前方は朱塗の玉垣を、後方は白壁をくぐらす。拝殿は平屋瓦葺で、狛犬一対は十年天保(1839)五月に奉納された。
本殿玉垣外の向かって左方に加藤清正をまつる加藤神社と一棟にまつる春日・稲荷・秋葉の諸社がある。
        ―『五條市史』まま―
▲本  殿  ▲境内片隅にある伊澤宜庵宅跡
御神木の大欅が、
本殿に寄り添うように屹立している。
あまり広くない境内には、欅の大木がほかにも
五、六本もあり、南面して日当たりの良い社前の
広場に、涼しい木陰を提供している。
境内西側の社務所は、子供たちの習字教室
として利用されているようである。
伊澤宜庵(いざわぎあん)は文政六年(1823)に紀伊国伊都郡に生まれ、今の五條小学校のあたりで医者をしていた。天誅組には軍医として参加し、高取城攻めで負傷した吉村寅太郎の手当てもした。その丁寧な治療により、大将の中山忠光から褒美として刀を贈られたという。(立札)




野原 岡松家長屋門 奈良県指定文化財
五條市野原町 バス停「金剛寺」前


岡松家長屋門(奈良県指定文化財)
岡松家は野原の代官として知られたもので今もなお、屋敷は広大な面積を占め、表通り一杯に長屋門を構え、元はその前面に松の馬場を持っていた。建立年代については、明らかではないが焼失した主家は、桃山時代を下らない時期と考えられこの長屋門もそれに続くものである。(入口説明看板より)
 長屋門正面

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