大淀町・比曾寺跡
みよしの巡りB
吉野郡大淀町比曾にある世尊寺は、もと吉野寺、比曾寺ともいわれ、日本書紀編纂以前から存在した日本仏教草創の鍵を握る聖徳太子建立の寺院をルーツとする。この現世尊寺境内に入ると右奥に台地があり、東塔跡の礎石が残っているが、この東塔は文禄三年(1594)豊臣秀吉により伏見に移され、さらに徳川家康によって三井寺に移築され現在に残る。
世尊寺山門
左の石柱には「史跡比蘇寺跡」、右には「不許葷酒入門」と刻まれている。現在は霊鷲山世尊寺といい曹洞宗に属する。
比曾寺跡・天照大神社
山門内右側(東側)に西向きに鎮座する比曾寺の鎮守で比曾村の氏神。祭神は天照大神。
同上、天照大神社
北側側面より撮影。
神殿には丹生都比売系神社のような極彩色塗装が見て取れる。
'01.05.03
撮影'01.04.08
境内より中門、鐘楼
日本書紀、欽名天皇14年5月1日
「泉郡の茅渟野海中から仏教の楽の音がします。響は雷の音のようで美しく照り輝いています」
と知らせてきた。・・中略・・溝辺直は海の中に照り輝く樟木のあるのを見つけた。これを取って天皇にたてまつった。画工に命じて仏像二体を作らせた。これがいま吉野寺に光を放っている樟の像である。
「日本書紀」宇治谷 孟 現代語訳より
現在東京国立博物館保管の「竜首水瓶」(国宝)は・・中略・・胴部右側面翼馬の尾の向かい合った空間に一行の墨書あり、
比曾丈六貢高一尺六寸-
と読める。書体は奈良朝頃という。まぎれもなく吉野比曾寺の丈六像に貢納されていたことを実証する。おそらく当寺衰微のいつの日か法隆寺に移されたに違いない。・・・・・
「吉野 その歴史と伝承」宮坂敏和著 97頁より