真朱の姫神 第三部関連地
ヤマトの風景
P越前国・敦賀
氣比神宮
福井県敦賀市曙町11番
式内社、越前国一ノ宮
祭 神:伊奢沙別命
:仲哀天皇
:神功皇后
:日本武尊
:応神天皇
:玉妃命
:武内宿彌命
●境内摂社・末社
角鹿神社(式内社) 祭神:都怒我阿羅斯等命
大神下前神社(式内社) 祭神:大己貴命
児宮 祭神:伊奘冉尊
猿田彦神社 祭神:猿田彦大神
神明両宮(内宮) 祭神:天照皇大神
(外宮) 祭神:豊受大神
天利劔神社(式内社) 祭神:天利劔大神
天伊奘奈彦神社(式内社)祭神:天伊奘奈彦大神
天伊奘奈姫神社(式内社)祭神:天比女若御子神
伊佐々別神社 祭神:御食津大神荒魂神
擬領神社 祭神:武功狭日命
鏡神社 神宝:神功皇后奉納の宝鏡
金神社 祭神:素戔嗚尊
林神社 祭神:林山姫神
劍神社 祭神:姫太神尊
本殿正面
この「てづつやま」から、伊奢沙別大神(氣比大神)が今の境内に御降臨されたと伝わり、その地が「土公」と名付けられ、聖地になっている。
向こうは天筒山
木造では、春日大社、厳島神社と並ぶ三大鳥居、国の重文。
正面の扁額は有栖川宮威仁親王の御染筆という。
表参道の大鳥居
摂社の杜にあるネコのような姿の狛犬
●由緒沿革
伊奢沙別命は笥飯大神、御食津大神とも称し、二千有余年天筒嶺に霊席跡を垂れ境内の聖地(現在の土光)に降臨したと伝承され、今に神籬磐境の形態を留めている。上古より北陸道総鎮守と仰がれ、海には航海安全と水産業の隆昌、陸には産業発展と衣食住の平穏に御神徳霊験著しく鎮座されている。
仲哀天皇は御即位の後、当宮に親謁せられ国家の安泰を御祈願された。
神功皇后は勅命により御妹玉姫命と武内宿禰命を従えて筑紫より行啓せられ参拝された。その時に笥飯大神が玉姫命に神憑りして「天皇外患を憂い給ふなかれ、兇族は刃に血ぬらずして自ら帰順すべし」と御神託があったという。
応神天皇は皇太子の時当宮に参拝され、夢に大神が現れ御名を易ふる事を約し、仰せの通り翌朝浜に出てみると笥飯の浦一面に余るほど御食の魚を賜ったともいう。
文武天皇の大宝二年(702)に勅して当宮を修営し、仲哀天皇、神功皇后を合祀されて本宮となし後に日本武尊を東殿宮に、応神天皇を総社宮に、玉姫命を平殿宮に、武内宿禰西殿宮に奉祭して「四社ノ宮」と称した。明治二十八年氣比神宮と改められた。
氣比神宮はたびたびの戦火に焼失。現在の建物は昭和五十七年の造営奉賛会による「昭和の大造営」により復興せられたものである。 (氣比神宮略記より)
平成13年11月12日