続・神々の杜
式内名神大社 建部大社 近江国 一宮 |
例大祭 四月十五日 船幸祭 八月十七日 |
古来建部大社、建部大明神と称え、延喜式内名神大社に列し、近江国一ノ宮として朝野の崇敬篤い古社である。 景行天皇四十六年神勅に御妃布多遅比売命が御子稲依別王と共に住まわれた神崎郡建部の郷に尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創であって、その後天武天皇白鳳四年に近江国府の所在地であった当瀬田の地に遷祀された。 当社は歴朝の御尊信篤く、武門武将の崇敬枚挙に遑がない、殊に源頼朝は平家に捕われ十四才にして伊豆に流される為、京都から関東に下向の折、永歴元年当社に参籠して前途を祈願した事が平治物語に記されている。頼朝は遂に源氏再興の宿願成って建久元年右大将として上洛の際再び社前に額き、幾多の神宝と神領を寄進して奉賽の誠を尽くされた。 明治十八年官幣中社に、続いて同三十二年官幣大社に列した。昭和五十年御鎮座壱千参百年式年大祭を斎行し、これに伴う記念事業の完遂により御社頭は面目をあらたにした。続いて昭和五十二年「建部大社」と改称された。(滋賀県神社庁HP) |
建部大社境内入口 |