かみがみのましますもり 神々の坐す杜 平成14年4月20日
大和国宇陀郡 | 墨坂神社 奈良県宇陀郡榛原町大字萩原字天野 (すみさかじんじゃ) |
@ | 祭神:墨坂大神 神武天皇東征の折、すでに祭祀されていた天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大物主神の六神神々の総称を「墨坂大神」という。 日本書紀によれば、神武天皇四年春、鳥見山中に霊畤(まつりのにわ)を築かれ、天皇みずから皇祖神を祭祀され「この地を上小野榛原(カミツオノハリハラ)、下小野榛原という」とある。 神武天皇の軍が大和兎田に入られた時、この地において賊軍がイコリ炭にて防戦したこの地が即ち墨坂の地である。 現在は西峠地区になるこの地の神々を文安年9月(1450)に現所在地の下萩原字天野に遷座されたものである。 また、日本書紀崇神天皇九年三月(380)、国中に疫病が蔓延したため天皇はいたく悩まれていた時ある夜、夢に神人が現われて、「赤盾八枚、赤矛八竿をもって墨坂の神を祀り、黒盾八枚、黒矛八竿をもって大坂の神を祀れ」と告げたので、天皇はその教えどおりに祀られたところ、たちどころに疫病は平癒し天下泰平となったとある。 ここでいう「墨坂の神」が当社の御祭神で、大坂の神とは北葛城郡香芝町逢坂の大坂山口神社の御祭神といわれる。 天武天皇白鳳元年十月(673)には、大来皇女を使者として金幣一対を奉幣されたとも伝えられている。 例祭は十一月三日 本社で宵宮祭執行後、大神輿により西峠旧社地の御旅所に遷御し、例祭当日御旅所から赤盾、赤矛、太刀等を奉持し、武者行列をしながら本社に還御して例大祭が執り行われる。 |
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C | 写真説明 ●写真@:社殿正面 拝殿とその奥に本殿。 ●写真A:境内社の竜王社 祭神:罔象女神(古くからは池を御神体として祀られていたという) ●写真B:境内社群 「天神社」、「市杵島神社」、「菅原神社」、「恵比須神社」金毘羅神社」、「愛宕神社」、「稲荷神社」、「八幡神社」、「祓戸神社」 ●写真C:境内社の大山祗神社 祭神:大山津見神(境外地石山から合祀したという) ●写真D:美しく柄杓の並んだ手水舎 ●写真E:宇陀川を南岸に渡った神社入口、境内は一段高いところに川に沿って長く敷地が広がている。 ●写真F:宇陀川南岸に鎮座する墨坂神社 境内地全景。延喜式神名帳には記載はないが、八咫烏神社、宇太水分神社の前身という説もあるという。 |
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墨坂神社全景(宇陀川北岸より撮影) 近鉄大阪線・榛原駅から 南へ500m徒歩約5分 戻る |
F天野の杜 |