続・神々の杜
式内社 渋川神社 しぶかわ |
式内社で天忍穗耳命 饒速日命をまつる。もとは長瀬川の東岸にあったが、天文2年(1533)の大洪水で流失、元亀3年(1572)現地へ移されたという。 この地帯一帯は、物部氏の住地でこの社は古くは竜華寺の鎮守であったという。鳥居前の観音堂は昔の宮寺の一部で、境内にある樹齢1000年という大樟樹は、玉祖神社(神立)善光寺(垣内)のそれとともに大阪府指定の天然記念物である。/八尾市教育委員会 |
当社は式内の小社であって『神祇志料』『大日本神祇志』には、天忍穂耳と饒速日命の二座を祀るとある。 当地方一帯は物部氏の田荘があり、その勢力下にあったから、その一族である渋川宿彌の氏神であったのであろう。往古の鎮座地は延喜式にも若江郡とあるように、現在の神社と川をへだてた対岸、すなわち安中小学校の東方にあった。ここには龍華寺があり、植松の部落も現在古屋敷と称する田の辺にあった。天文二年(1533)5月5日の大水害に神社も民家も流失し、二柱の御神体は氏子によってようやく抱え上げられたが、末社の如きは遠く茨田郡新田村に漂着した。こんなことが古来から度々あったので元亀三年(1572)、時の官庁に訴え、川西の御旅所に社殿を遷し、同所につづく宮持の平山を切り開いて部落も移転した。これが現在の神社であり植松部落である。 なお当社には老樹が多く繁茂し、神域も比較的広い。社殿は南面し、その背部に大きなくすがある。樹高約16メートル、地上1.6メートルの周囲約6.9メートル、樹齢は1600年といわれ、昭和24年5月9日天然記念物の指定を受けた。/『八尾市史』前近代編 ママ |
南向きの 境内正面入り口 | 御神木の楠(樹齢1600年とも) |