続・神々の杜
創 建:天智天皇七年(668) 御祭神「天の太玉命」は、古よりこの地に降臨し、天智天皇七年に(668)に神社を創建。
垂仁天皇の皇子小槻氏の始祖「於知別命」を配し、平城天皇大同二年(807)には荒魂社を創建し別宮としたと伝えられています。
地名の由来も「老翁となった天太玉命の農事を鹿が助け、苗(稲)を鹿が背負って運んだ」ことから、苗鹿となったと伝えられています。
この地を治め朝廷の事務を司る小槻氏の崇敬を受け、延喜式神名帳に名を連ねる式内社となり、建武二年(1355)には、天皇より勅使が差遣され、天下太平祈願の奉幣の記録も残っています。(境内由緒説明看板より)
道を挟んで向かい側に「那波加荒魂神社」があって[上宮]と呼ぶが、当社が本社で[下宮]の位置付である。本社・下宮を苗鹿神社と通称して上宮はその御旅所のように理解されている。祭祀では上宮から下宮への神幸が行われ上宮の社殿背後には小さな霊石があるという。/大津かんきょう宝箱 |
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境内入口右側の社名石碑 |