史実による詳しい記述はないが、「天平十年(1582)織田信長の高野攻めの時、織田方の武将、松山庄五郎が名古曽に布陣の際、戦勝を祈願して、堺の住吉神社を勧請したもの」と伝えられている。 社殿は住吉造の形式を具え、7月31日は住吉神社の大祭で、宵宮と本宮には200m余の参道に、50を越える出店が軒を連ね、境内には近郷近在からの参拝者で埋め尽くされる。
かみがみのましますもり 神々の坐す杜 57. 平成24年3月17日掲出 戻る