式内大社 長尾神社 な が お
祭 神:水光姫命・白雲別命
鎮座地:奈良県北葛城郡當麻町長尾
本 殿 |
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二上山が見える神社北側、竹内街道 | 境内東側 正面入口 | 拝 殿 | ||
当社は、延喜式神名帳葛下郡の「長尾神社大。月次新嘗。」に比定され、旧竹内街道沿いにあって高野街道の道筋にもあたり、古代から交通の要衝であったところに鎮座している。現在の祭神は水光姫命、白雲別命の二座となっているが、『延喜式』では一座であり、(本来の祭神は)不明というしかない。 ―参考:『日本の神々』神社と聖地4大和―より要約引用 『新撰姓氏録』―吉野連の記事―によれば、 「加弥比加尼之後也。謚神武天皇行幸吉野。到神瀬。遣人汲水。使者還曰。有光井女。天皇召問之。汝誰人。答曰。妾是自天降来白雲別神之女也。名曰豊御富。天皇即名水光姫。今吉野連所祭水光神是也。」 …とある通り水光姫は吉野連が祭る神である。 |
『大和史料』下巻・葛下郡ではこの祭神説を否定して、 ―――長尾神社 磐城村大字長尾木見屋代ニアリ、延喜式ニ「長尾神社。大。月次新嘗。」ト見エ、今指定村社タリ。祭神ハ天照大神・豊受大神ナリ。創立ノ由緒正安ノ放光寺縁起ニ詳ナリ、参考スベシ。然ルニ今水光比賣トスルハ南都人今出河氏ノ作為セル社記ニ據レタルモノナレドモ、其の書牽強附會ニシテ信ズルニ足ラザレバ今之ヲ取ラズ。―― とあるが、南都人の「今出河氏」という人物が分からず、「放光寺縁起」というのも良く解らずで、この長尾神社の祭神は全く謎が多い。 天安三年(859)従五位下より、江戸時代には正一位まで上りつめたという神階の特進も異常な気がする。 吉野連といえば、吉野連久治良、吉野連豊益、吉野連直雄がいたことが分かっている。ちなみに、豊益は外従五位下の官位で吉野郡大領の地位にあったことが知れている。しかし、彼ら吉野連一族が斎祀った水光神に、はたして「正一位」の極位が下賜されるだろうか。まったく分からないという外はない。 |