式内社 桑田神社 く わ た
丹波国桑田郡 桑田神社 古くは丹波(たにわ)といわれ、赤い土で染まった大きな湖だったこの地を、出雲大神が八人の地祇と協力して、浮田(請田)の狭を切開き、湖を干拓して桑畑(桑田)に変えたという。その謂れにより左岸に請田神社、右岸に桑田神社、そして干拓に用いた鍬が山を成した上矢田の地に、鍬山神社を祭ったと伝えられる。 また、オオナムチの神が、丹(あか)い波の湖を見て、この水を無くせばすばらしい農地をつくれるだろうと、この地の八人の神様と協力して浮田を切開き、水を保津峡に導いて豊かな農地を作ったというような同様の伝承もある。 [桑田、請田、鍬山神社由緒より] ちなみに------------ ●鍬山神社の祭神は: 大己貴尊、応神天皇 ●請田神社の祭神は: 大山咋命、市杵嶋姫命となっている。 |
京都府亀岡市篠山町山本北条51 ●祭 神: 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと) 大山咋命(おおやまくいのみこと) 大山祇命(おおやまつみのみこと) |
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本 殿 | ||||
桑田神社は、鍬山神社の祭神と共に保津の山峡を切開き、亀岡盆地を干拓したという大山咋神と市杵姫命を祭っている。 市内では古い社で、大日本史神祇志に、この社地辺を桑田というと記されているにもかかわらず、明治六年まで川向かいの保津の請田神社を名のっていた。 ここは保津の急流を見下ろす景勝の地にあり、古代集落の成立に適し、盆地の入口に当り政治的にも重要地位を示していたと考えられ、秦氏の勢力がいち早く波及したところである。近世、篠村七郷から厚い崇敬をうけている。(境内由緒説明看板より) |
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境 内(奥は拝殿) | ||||
境内入口の鳥居 | ||||
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かみがみのましますもり 神々の坐す杜 33. 平成15年8月21日