百済寺跡 百済王神社 くだらおう
河内国交野郡 百済王神社 百済国王、義慈王の王子・禅広(ぜんこう=善広)は、新羅・唐連合軍によって祖国が滅亡した際、日本に亡命してきた。やがて朝廷に仕えることとなり、百済王氏という姓を賜り、難波の地に居住した。 陸奥守として赴任していた禅広の曾孫にあたる百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく)は、聖武天皇の東大寺大仏鋳造に際し、陸奥国で産出した金を献上し、その功により、従三位河内守に任ぜられた。敬福は中宮の地を賜り、氏寺として百済寺、氏神として百済王神社を造営し、一族ともどもこの地に住みついたと考えられている。やがて百済王氏一族は、皇室や高級貴族と姻戚関係をもち、朝廷内での地位を高めていった。特に垣武天皇は交野ヶ原の地をしばしば訪れ、百済王氏と親交を深めた。その後、度重なる火災により壮大な伽藍は灰燼に帰し衰退した。やがて奈良興福寺の支配を受け、再興が図られた。今ある本殿は、奈良春日大社の本社本殿を移築した「春日移し」である。なお、拝殿にかかる「百済国王 牛頭天王」の木版額は、当社が百済王氏の祖霊を祀る神社であることを明らかにする。 (枚方市教育委員会) |
大阪府枚方市中宮西之町1-68 京阪宮之阪駅下車、東へ徒歩七分 ●祭 神: 百済王(くだらおう) 進雄命(すさのおのみこと) <須佐之男命(牛頭天王)> |
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本 殿 | ||||
●境内社: 八幡神社 浮島神社 稲荷神社 手水舎と、掃き清められた境内 |
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拝 殿 | ||||
境内入口 | ||||
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かみがみのましますもり 神々の坐す杜 34. 平成15年9月18日