神々の坐す杜 |
拝 殿 | 本 殿 | 波爾井 |
創建の年代は不詳であるが、延喜式神名帳に「賀茂波邇神社二座」とある社で延喜年間以前からこの地に山城平野の総鎮守神として奉祭されていた。現在の社名は、賀茂御祖神社第4摂社賀茂波邇神社であるが、明治10年3月に官幣大社賀茂御祖神社の摂社に加えられたが、それ以前は村社波邇神社と言い、単に「赤の宮」とも呼ばれていた。 また江戸時代には、「赤の宮稲荷大明神」と呼ばれ、稲荷神、迦遇突智神とが併せ祀られていたらしい。一般に稲荷の神を祀る社は、社殿を朱に染めるところから、当神社も古くは丹塗りであり、誰言うなく赤の宮の名が起こったのであろう。社頭の説明看板より―――― |
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舞 殿 |
境内正面入口 |
かみがみのましますもり 神々の坐す杜 79. 平成25年11月18日掲出