泉大津 大津神社 おおつ
(式内社 粟神社 あ わ)
祭 神 | : | 品陀別命 天太玉命 事代主命 天児屋根命 素盞嗚尊 菅原道真公 船玉命 天照皇太神 他八祭神 |
境内正面入口石柱には、鴉之杜 大津神社 式内粟宮と記されている |
泉大津市役所前の、旧26号線西側にある大津神社は、その由緒書きによれば、「小津の泊まり」に祀られた小祠であったと謂われる。 鎌倉時代に八幡大神を勧請して、「若宮八幡宮」と称していたが、明治四十一年に宇多神社、神明神社、菅原神社の三社を合祀。また事代主神社を境内社として、式内粟神社を境内に移転した際に、「大津」の総鎮守として、「大津神社」と改称されたいう。つまり「大津神社」の社名が始まったのは明治41年となる。 “をづのとまり”と謂われた昔は、すぐ近くまで海が迫り、ここには港があったといい、そこに祀られていた小祠がこの神社の起源だそうだが、ではこの小祠の本来の祭神はどのような名の神様だったのだろうか。 境内入口に掲げられた祭神の表札には、品陀別命、天太玉命、事代主命、天児屋根命、 素盞嗚尊、菅原道真公、船玉命、天照皇太神、他八祭神とあり、当社のホームページを見ると他八祭神とは息長帯姫命、武甕槌命、経津主命、表筒男命、中筒男命、底筒男命、比淘蜷_、宇迦之御魂大神であることが分かる。 この全16祭神の中から、本来の祭神は何だったか考ええみると、若宮八幡の祭神は鎌倉時代に勧請したことが判っているので明らかに違う。明治41年に合祀した菅原神社の祭神も違うと見られる。 残るのは、宇多神社、神明神社、粟神社の祭神である。 さて、ここからは筆者の想像である。 粟神社に比定される粟堂「宇多大津村粟戸(現式内町)」の地名から、粟神社の祭神・天太玉命と宇多神社の相殿神・船玉命のどちらかが、本来の祭神ではなかったかと思うのである。 あるいはこの天太玉命と船玉命は異名同神かも知れない。 ――粟神社本殿は、本社本殿瑞垣内にあるといい、拝殿からはよく拝観できない―― |
境内社の戎神社 | 正面奥が拝殿 | 境内社の稲荷神社 |