譽田八幡宮
神々の坐す杜
かみがみのましますもり
所在地:大阪府羽曳野市誉田三丁目2-8


祭 神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

   相殿:住吉大神、八后神

     
平成14年1月30日
神社発行のパンフレットには、”「ほんだ」は河内の地名にちなんだものと推定されています”とある。

一方、日本書紀によると
・・・・・主祭神の応神天皇は、仲哀天皇の第四子で母は気長足姫尊(神功皇后)という。名は譽田別尊といい、生まれた時腕の上に盛り上がった肉があった。その形がちょうど鞆(ほんだ)・・・[弓を射たとき反動で弦が左臂に当たるので、それを防ぐためにはめる革の防具]・・・のようであった。これは神功皇后が男装をして鞆を付けられたのに似られたのであろう。それを称えて譽田(ほんだ)と名付けられた。
またある説によると、皇太子のとき越国においでになり、敦賀の笥飯大神にお参りになった。そのとき大神と太子と名を入れ替えられた。それで大神を名づけて去来紗別神(いざさわけのかみ)といい、太子を誉田別尊(ほむたわけのみこと)と名づけたという。そうすると大神の元の名が誉田別命神、太子の元の名を去来紗別尊ということになるがつまびらかでない。・・・現代語訳/宇治谷孟・・・・・と書かれている。
@放生橋
A拝殿(奥は本殿)
B手水舎から見た境内
C東門正面より
D北西方向から見た応神天皇陵
●おもな行事 
5月8日 :(ふじ祭り)舞楽・神楽奉納、包丁式
9月14日:秋季大祭宵宮祭
        秋季大祭 午後9時みこし渡御
               神楽奉納、献茶・献花

●左の誉田御廟山古墳は、応神天皇陵に比定されているが異説もある。

墳長416メートルの前方後円墳で、面積は仁徳陵に次いで2番目、体積では日本最大の墳墓である。
●東門から入りCの鳥居をくぐると、すぐ左にBの手水舎がある。そのまま真っ直ぐに行くと拝殿があり、突き当たりのその拝殿を右に折れると、@の放生橋に至る。この石造りの太鼓橋は普段は閉じられているが、9月の大祭にはこの橋を神輿が渡御する。
もとも当宮境内よりの参道であった。
戻る
(ほんだはちまんぐう)