や さ か 掲 示 板

過去ログ[200]〜[151]
[200] 司馬遼太郎と彌栄神社(弥栄神社) 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/05/22(Thu)
神奈備さん、昨夜は楽しい出逢いをセットしていただきありがとうございました。
金春流や興福寺周辺の話など、お蔭様でいい勉強ができました。
ところで、この時お会いしたA氏は、故・司馬遼太郎氏と彌栄神社のご縁から、一度お会いしたいものだと、前から私が思っていた方でした。
本当に不思議なものですね。これも「シンクロニシティー」でしょうか。

さて、彌栄神社と司馬遼太郎の関係ですが、大阪市生野区桃谷二丁目に「彌栄神社」があります。このすぐ近くが鶴橋本通り商店街で、ここに福田定一(司馬遼太郎の本名)の父親が経営する薬局があったといいます。(A氏は司馬遼太郎氏の鶴橋時代のことを、氏が発行する小冊子に書いておられます)
幼年時代、定一少年は旧平野街道沿いの、この神社の境内で遊んでいたことだでしょう。また陳舜臣氏なんかもこの時代からの知り合いで共に遊んっだ仲間だったかも知れません。
不思議なことに、後々に引っ越した東大阪の自宅のすぐ近くにも「彌栄神社」があります。引っ越した先に、たまたま彌栄神社が鎮座していたのか、あるいはこの神社があることを知っていて、司馬遼太郎氏はそのすぐ近くに居を定めたのかは分かりません。でも御縁があるんですね、彌栄神社と司馬さん。
ちなみに彌栄神社の祭神は「素盞鳴尊」です。

●以下は彌栄神社の参照ページです。

http://yasaka.hp.infoseek.co.jp/yasakajinjya.html


[199] Re[198]: Re[197]: Re[196]: 春日大社/興福寺 薪能 投稿者:神奈備 投稿日:2003/05/17(Sat)
 能は興福寺の法相宗の影響下にあったようで、唯識の芸能的表現とも云われているようです。人生うたかたの夢の如し。ですか。
 能の起源説話に春日大神と興福寺が出てきており、能の奉納を見て、春日の鳥居の上で神が老翁の姿となって舞を舞って喜んだとの話が残っています。「金春流」の発祥の地という石碑が興福寺境内にあるそうです。
 唯識を説く法相宗の興福寺の影響のある所が金春流の発祥の地の匂う所と考えています。前回書き忘れたのですが長谷寺の南側にも狛の地名が残っています。
>
> いいですね、楽しみです。ご連絡くお待ちします。
>
来週にでも・・・

[198] Re[197]: Re[196]: 春日大社/興福寺 薪能 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/05/16(Fri)

神奈備さん、こんばんは。
生魂神社で薪能が催されたことがあるとは知りませんでした。確かに温泉マークとは相容れませんね。

>  能の四座の内の円満座が金春流になったそうです。

このことも知りませんでした。金春は「こんぱる」と読むんだそうですね。
能は奈良時代に渡来した「散楽」が日本化して猿楽になり、後に大和猿楽の観阿弥・世阿弥により夢幻能として確立されたものらしいので、やはり元はと云えば渡来芸能なのでしょうか。
どうも神奈備さんの方が、はるかに良くご存知のようです。
私は詳しいことは良く知らないのですが、なんとなく能舞台に惹かれます。
特に彼岸と此岸の人物のやり取りや所作、囃子方の演奏や独特の掛け声等々、
「能」がかもし出す幽玄美に興味が尽きないのです。

ところで興福寺は藤原氏の氏寺ですが、「藤」は「葛」とも通じますので、なんとなく匂うとはこの辺のことでしょうか。
>
>  最初に書いた「ある方」とは、鶴橋でPUBをやっている人で、この手の話が好きな連中のたまり場だそうです。あいにく雨の能を鑑賞に行っているはずです。>一度覗いてみましょうか。

いいですね、楽しみです。ご連絡くお待ちします。


[197] Re[196]: 春日大社/興福寺 薪能 投稿者:神奈備 投稿日:2003/05/16(Fri)
 マルヤさん、能の鑑賞がお好きなようですね。小生は昔、生魂神社の夕刻の薪能を見たことがあります。大阪のおばちゃんが多く、ものを食べながらの人もいたようで、幽玄の世界とは異なった雰囲気でした。おまけにさかさくらげのネオンの多い近辺の生魂神社、能にはしんどい所ですね。

 最近、能の金春流の発祥の地を探しておりました。と云っても小生は別段能に趣味があるわけではなく、ある方が自分の考えを纏めようと小生を土台におしゃべりしながらにおつきあいを下だけですが。

 若干の知識を得ましたので書いておきます。
 能の四座の内の円満座が金春流になったそうです。この”円満”とは月輪を云うようで、現在は山号がない珍しいお寺である興福寺がかっては月輪山だったようですが、水害などが多く南大門の山号をおろしたようです。月は水にかかわるようです。興福寺、春日大社が能のルーツで猿沢池を背景に行われたとか。

 京田辺市の薪と云う字の地があり一休寺があります。金春禅竹が総門前の芝生で能を演じたそうです。彼らはお友達だったようですね。金春は狛氏の出とか、京田辺の隣の精華町に狛と云う地名がのこっており、この辺りかとも考えて見たのですが、決め手はありませんでした。

 八坂神社の石段下から四条河原へは大衆芸能の発祥の地で現在も南座が名残をとどめています。この八坂神社が狛氏が半島のソシモリからやってきて祭ったとの創建譚もあり、一方京田辺の朱智神社が八坂神社のルーツとの説もあり、また八坂神社は興福寺の支配を受けていた時期もあり、なんとなく匂うのですが、また決め手はありません。

 興福寺の支配と云えば桜井の長谷観音もそうで、金春禅竹の名作玉葛は 
♪程もなき 舟の泊まりや 初瀬川 上りかねたる 岩間かな 水の水上 尋ぬれば 始めは苔の 雫なり ・・・・ 物語は諸国一見の僧、奈良の寺社を参拝後、長谷観音に参詣 山川の岩間づたいの小舟の女に出合云々とのことで、代表作に長谷寺が登場する程度の根拠で実に乏しいのです。ただ長谷には金比羅神社が鎮座、金春のこととか。

 最初に書いた「ある方」とは、鶴橋でPUBをやっている人で、この手の話が好きな連中のたまり場だそうです。あいにく雨の能を鑑賞に行っているはずです。
 一度覗いてみましょうか。

[196] 春日大社/興福寺 薪能 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/05/14(Wed)

5月11日、興福寺の「薪御能」をみに行きました。
当日、昼は春日大社の舞殿で「翁」が奉納され、夕方からは興福寺南大門跡、般若の芝で篝火のもとに執り行われるはずでしたが、あいにく雨のため、奈良県文化会館に会場を移して演じられました。
演目は「班女」と「車僧」で、狂言を間にはさんで上演されました。
本来、野外の篝火の明かりで演じられる「薪御能」なので、残念ながら夢幻能の雰囲気には欠けましたが、シテやワキの手の動き足の運び、囃子方の演奏など、前列に席を取ってじっくりとその雰囲気を味わいました。
会場はほぼ満席だったので、入場者は500人位だったと思われます。
若い外人の姿が多く、静かに鑑賞しています。一方、日本の若者達の姿はほとんど見かけません。
日本の伝統芸能や文化に興味をもつ外国の人々は多く、日本に何かを求め、何かを学ぼうとしているように思えます。
一方、日本人は日本の心を忘れ、日本の良さに気付かない若者が増えているような気がしてなりません。
そのことは電車の中や、映画館、公共の場でのマナーにも顕れています。例えば電車の中での、日本の若者の行儀の悪さには目にあまるものがあります。戦後、アメリカの自分勝手な自由主義に毒された思いがしてなりません。

日本の伝統芸能には、日本人が忘れそうになっている「古き良き日本」が一杯詰まっているような気がします。

○薪能が演じられる寺社○
毎年4月10日    :奈良・大神神社 薪能ではない   (昼/能)  
毎年5月11日〜12日 :奈良・興福寺(夜/薪能)、春日大社(昼/能)  
毎年6月1日〜2日  :京都・平安神宮(夜/薪能)
本年10月4日    :大阪・枚岡神社(夜/薪能)

●奈良・石上神宮、河内長野市・観心寺も上演していましたが、現在は中止しているようです。

[195] Re[194]:神社めぐり 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/05/02(Fri)
川上鹿塩神社へ分かりやすいご案内ありがとうございます。
この次の機会には迷わず参詣できそうです。

> ・・・樫尾の皆さんのおかげで、参詣できました。
神社詣では風の匂いを嗅ぎ、草木に触れ、その地の人と話をして、風土を身で感じることが、神社めぐりプチツアーの醍醐味でもあるようですね。
私もなるべく歩いて参詣するようにしたいと思います。


[194] Re[193]: Re[192]: 川上鹿塩神社 投稿者:神奈備 投稿日:2003/05/02(Fri)
十二社神社の東側にコンクリート舗装の軽なら通れる山道が登っています。これを道成に行きますと、左 くまのさん上、 右 いせかいどう と彫った石があり、左に曲がります。
この道を延々と歩きますと自然に到着します。道中はは杉の木の植林の中ばかりで面白くありません。十二社神社の付近に車を留められて歩かれたらと思います。

小生はバス停から東に進み、途中で立ち話をされていた老婆二人に尋ね、墓地方面の道を教えてもらいました。墓地へ行くと老夫婦がお墓の掃除をされていて、道ナキ道を教えてもらい、林道にでられました。樫尾の皆さんのおかげで、参詣できました。

[193] Re[192]: 川上鹿塩神社 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/05/01(Thu)
神奈備さん、こんばんは。ありがとうございます。

> メーデーの今日、上記神社と岩神神社へ参詣しました。
> 川上鹿塩神社は樫尾から林道を40分ほど登ります。

今日はメーデー、昔のお祭りさわぎのようなメーデーが懐かしく思い出されますね。
川上鹿塩神社へは林道を40分ですか、お疲れさまでした。
五社峠だそうですね。元々五社峠の地に祀られていたのが、一時期今の十二社神社の地に遷座され、また再遷座して原社地に鎮座したのだそうですね。
そこへ私も行きたかったのですが、峠に登る道が良く分からず、また行っても小さな祠があるだけではないかと思い、あきらめてしまいました。「神奈備神社名鑑」へ収録されましたら拝見します。式内社でしたね。いつかは参拝したいと思いますが、さしあたっては「神奈備にようこそ」HP上で参拝させて頂きます。
> 岩神神社の岩、これは凄いですね。
ほんとに大きい岩でした。磐船といった感じですね。
> 十二社神社は滝蔵神社や小夫天神と似た雰囲気でしたが、工事中でした。
吉野町樫尾の十二社神社ですね。私が参詣したのは4月13日でしたが、工事は していませんでした。五社峠・川上鹿塩神社への登り口は。この近くなんでしょうね。

[192] 川上鹿塩神社 投稿者:神奈備 投稿日:2003/05/01(Thu)
メーデーの今日、上記神社と岩神神社へ参詣しました。
川上鹿塩神社は樫尾から林道を40分ほど登ります。
岩神神社の岩、これは凄いですね。
十二社神社は滝蔵神社や小夫天神と似た雰囲気でしたが、工事中でした。

[191] 萌の朱雀 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/04/04(Fri)
やっと「萌の朱雀(もえのすざく)」を見ました。
河内長野の図書館にそのビデオがあるのは知っていたのですが、いつ行っても貸し出し中で、手にできないでいたのですがやっとつかまえました。この映画はご存知、河瀬直美さんが97年の第50回カンヌ映画祭で、カメラドール(新人監督賞)を、日本映画初、カンヌ史上最年少(27歳)で受賞した作品です。奈良県吉野郡西吉野村が舞台になっています。

さて、この映画の中身ですが、戦前建設計画がなされ、のち中断した五新鉄道(現在の五條と新宮市を結ぶ)が物語の背景にあります。この映画は林業の低迷などで過疎化が進むこの村の、つつましい生活ぶりと一家離散の哀しみを詩情的に描いた作品ですが、登場人物に台詞が少なく、ストリー展開の分かりにくい作品と思いました。
こんなにも台詞の少ない映画を見るのは初めてで、観る人各人がさまざまな見方、感じ方ができる作品になっています。その分、見る側に想像力が働くということでしょう。画面は文句なしに美しい。わらべ歌が心にしみる。

河瀬直美の作品はほかに「杣人物語」などがあります。
以下は河瀬直美参照頁です。

http://wwwjp.kodak.com/JP/ja/motion/newsletters/shootingEye/38/kawase.shtml


[190] Re[176]: 二つの、別個のうごき 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/04/04(Fri)
>  宗教という名前のもとには集団形成と自己改革の二面があります。
>  まずは、宗教から「集団形成」の側面を剥ぎ落とす必要がありましょう。そこにあるのはリクツによる結びつきは薄く「顔のつながり」が第一義的にみられます。
>  また、宗教団体幹部に共通な神経は、自らの額に汗することなく、ことばを左右してメシダネに預かろうとするズルギツネのそれです。
>  ここで原初教義も大きく変形変質を余儀なくされたことでしょう。
>  教義は少なく、宗派のみ多かりき。


遅くなりましたが[177]の続きです。

この意見には全く同感です。
各々の宗教集団に共通する特徴のひとつは、他の宗教集団を悪しざまに言うことですが、例外的に他の宗教とも協調して世界平和に尽くそうと、「万教同根」をとなえ、エスペラントの普及にも努めた「皇道大本」がありましたね。その開祖出口なお、聖師王仁三郎のもとには、浅野和三郎や谷口正治(雅春)、植芝盛平、高見元男などの人物が集まりました。この時代「ズルギツネ」ではない幹部がいたのですね。
先年、その現在の「おほもと」を、訪ねたことがあります。
旧亀岡城址だった天恩郷、綾部の梅松苑と両地とも行ったのですが、いきなりの訪問にもかかわらず、親切に係りをつけて境内を案内してくれました。境内は掃き清められ美しく、係りの女性事務員?さんも押し付けがましさや、宗教的な雰囲気は全くなく、清々しい気分にだったことが印象に残っています。戦前の隆盛さには及ばないとは思いますが、今も多くの信者がいるようですね。

[189] Re[188] ツツノコ 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/03/17(Mon)
> 素盞嗚尊のお話では蛇の尾から剣が出ました。金属、剣の生産と蛇は宇賀神を見るまでもなく、大いに関連があったと言うか、蛇は太古からの神、また金属精錬も神業、自然に結びついたのでしょう。
>
ありがとうございます。全くの見当外れではなかったようで嬉しいです。

> 筒之男、筒之児、ツツノヲ、ツツノコ、住吉の神々も海蛇だったのかも。
> 筒之尾とすれば剣の事とも言えます。三種の神器の一つとなり、住吉神が王権の守護神であったのは、レプリカを御神体としたのかも。熱田神宮と同じ様な海岸の立地であるのも、海蛇のシンボルの剣を祀ったからと言えませんかね。
>
あ、その通りかも知れないと思います。
目からウロコの見解です。日御碕神社の掛軸の絵を思い出しました。
杵築では神在月の頃、浜に寄せ来る海蛇を「龍蛇神」として崇め奉るそうですね。なるほど海岸立地の住吉神社も、充分同様のことが考えられそうです。

[188] Re[187]: Re[186]: ツチノコ 投稿者:神奈備 投稿日:2003/03/17
素盞嗚尊のお話では蛇の尾から剣が出ました。金属、剣の生産と蛇は宇賀神を見るまでもなく、大いに関連があったと言うか、蛇は太古からの神、また金属精錬も神業、自然に結びついたのでしょう。

ツツは音が重なる原始の言葉近いのかも。南方諸国にも多いようです。
筒之男、筒之児、ツツノヲ、ツツノコ、住吉の神々も海蛇だったのかも。
筒之尾とすれば剣の事とも言えます。三種の神器の一つとなり、住吉神が王権の守護神であったのは、レプリカを御神体としたのかも。熱田神宮と同じ様な海岸の立地であるのも、海蛇のシンボルの剣を祀ったからと言えませんかね。

高貴なる や さ か 掲示板を青草にしてしまいました。・・・

[187] Re[186]: ツチノコ 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/03/16
> この名はいかにも古代風と言うか、軻遇突智命、野椎神、鹽土翁神などのツチかも知れませんね。

気が付きませんでしたが、本当に同じ「ツチ」の意味かもしれませんね。
出典は忘失しましたが、イカヅチも、ミカヅチも、「ツチ」は大蛇の意味だとする説があったように記憶します。

私が子供の頃、村の媼に聞いた「ツチノコ」話。
その媼が子供の頃、やはり人に聞いた話だというのですが、山の中腹の段々畑で仕事をしていた村人が、山の上から転がり落ちて来た丸太のようなものにぶつかった。見るとそれは木槌のようなヘビだった。村人はびっくりして腰を抜かし、それから病に臥せってしまったと言います。
農具の木槌には水瓶のような形の手槌がありますが、その形に似ているため、ツチノコの名が付いたのかと昔は思っていましたが(もちろん形からも名付けられたのでしょうが)、「ツチ」とはヘビのことかも知れません。それも大蛇のことでしょうか。
「ツチノコ」とは大蛇の子の意味だったのかもしれませんね。

> 下北山村はツチノコ共和国だとか、発見生け捕りの賞金は100万円、池の大明神へお参りしてから探すと見つかるかも。神の遣いとすれば小子部の霊力がいりますね。

そう言われれば確か小子部スガルは、日本書紀では雄略天皇に大蛇を捕えて献上する話、日本霊異記では雷を捕えて献上する話がありましたね。

> ツチはツツに通じ、住吉の神名の筒は「光の筒」、天空よりの光の丸い平行ビームを筒と言うとの説があります。住吉の筒についての諸説(地名、星、祭祀道具など)より、意外と当たっているのかも。

「ツチはツツに通じ」は全く同感です。
笑われるかも知れませんが、筒は蛇に通じ、精錬炉(炉筒)にも通じるというようにも思うのですが、青草ですかね。
窯業の「上り窯?」などを見ると、古代の精錬炉を思わせます。赤い炎がとぐろを巻いて駆け上る、これは「赤龍」じゃないかと。

[186] ツチノコ 投稿者:神奈備 投稿日:2003/03/15
この名はいかにも古代風と言うか、軻遇突智命、野椎神、鹽土翁神などのツチかも知れませんね。
下北山村はツチノコ共和国だとか、発見生け捕りの賞金は100万円、池の大明神へお参りしてから探すと見つかるかも。神の遣いとすれば小子部の霊力がいりますね。
兵庫県千種町では2億円だそうです。一攫千金狙いですね。

ツチはツツに通じ、住吉の神名の筒は「光の筒」、天空よりの光の丸い平行ビームを筒と言うとの説があります。住吉の筒についての諸説(地名、星、祭祀道具など)より、意外と当たっているのかも。

[185] Re[184]: おにゅうさん 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/03/15
> とっくに啓蟄は過ぎています。世の中すっかり春もようです。

神奈備さん、ありがとうございます。
ご無沙汰しています。
啓蟄には這い出て来ようと思っていましたが、少し遅れていたところ、
甘南備山にわたる春雷に目覚めました。

確かにもう春ですね。ウグイスの声こそ未だ聞かれませんが、晴天の昨日は
メジロの“チィー”という愛らしい声を耳にしました。

> この前、高取町で丹生神社を探索して来ました。
> ・・・聞くところによりますと、雨乞いの際、下方の池(今は埋められて道路と住宅地)に転がし落としていたようです。
> 地域の嶽参りも色んなやりかたがあったようですね。

おもしろい慣習ですね。興味津津です。子供の頃、吉野の村の媼に聞いた「ツチノコ」の話をふと思い出しました。
神社巡りも遠のいていましたが、また丹生に所縁の神社を訪ね歩きたいと思っています。よろしくお願いします。

[184] おにゅうさん 投稿者:神奈備 投稿日:2003/03/13
とっくに啓蟄は過ぎています。世の中すっかり春もようです。

この前、高取町で丹生神社を探索して来ました。新しい道路ができていて、目標の山の中を探し回ったのですが、なかなか見つかりませんでした。ふと山の上から見渡しますと、向こう側の丘の上に小さい祠が見えるではありませんか。「あれしかない!」と思い、山を下り道を渡ってその丘の上に上りました。
古びていましたが、祠のサイズに比べて枠木も太く、しっかりした造りの祠でした。聞くところによりますと、雨乞いの際、下方の池(今は埋められて道路と住宅地)に転がし落としていたようです。

今でも、お祭が続けられているようですが、転がり落とすようなことは出来ないでしょう。
地域の嶽参りも色んなやりかたがあったようですね。

[183] 籠り中 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/02/02
引き続き、籠り中です。
当分、レスポンスできません。

[182] こもります 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/01/07(Tue) 10:32
当分、すぐにレスポンスはできません。

[181] 「おみくじ」 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/01/01(Wed) 13:18
枯木遇春生 前途必利亨 亦得佳人前 乗車祿自行
         <丹波国桑田郡 小幡神社 第二十五番 吉>

かれ木もはるにあふてふたゝび芽をいだすなり
ぜんとゆくさき利かうはしあわせよきをいふ也
そのうえよき人のめぐみをえて
ざいほうくるまにつみてゆくべし

新しい年を迎えましたが、ことしはこのみくじにあやかりたいものです。

[180] 謹賀新年 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/01/01(Wed) 12:12
あけましておめでとうございます。
昨年はお引き立てをいただきありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願い致します。

[179] Re[178]: あいさつ「 投稿者:マルヤ 投稿日:2003/01/01(Wed) 12:09
>
こちらこそ、旧年中は何かとお世話になりましてありがとうございました。
本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

[178] あいさつ「 投稿者:神奈備 投稿日:2002/12/31(Tue) 22:37

 この一年お世話になりました。ありがとうございました。
 引き続きよろしくお願いいたします。

[177] Re[176]: 二つの、別個のうごき 投稿者:マルヤ 投稿日:2002/12/31(Tue) 09:01
多くの教祖の伝記を読みましたが、確かにそのような側面があり、
なるほど、その通りだと思います。
また、たしかに取巻き・取次ぎの功罪は大きなものがあるようですね。

丹後の方面へ出かけていて、昨夜遅くに帰ったところです。また改めて書き込みします。
年の瀬を向かえ、厳しい寒さが続いておりますが、健康には特に留意ください。
どうぞ良いお年を。

[176] 二つの、別個のうごき 投稿者:焼尻紋次郎 投稿日:2002/12/27(Fri) 13:26
 宗教という名前のもとには集団形成と自己改革の二面があります。

 まずは、宗教から「集団形成」の側面を剥ぎ落とす必要がありましょう。そこにあるのはリクツによる結びつきは薄く「顔のつながり」が第一義的にみられます。
 また、宗教団体幹部に共通な神経は、自らの額に汗することなく、ことばを左右してメシダネに預かろうとするズルギツネのそれです。
 ここで原初教義も大きく変形変質を余儀なくされたことでしょう。

 教義は少なく、宗派のみ多かりき。

http://www.you-i.org


[175] 食糧難クリアー  投稿者:焼尻紋次郎 投稿日:2002/12/25(Wed) 05:14
 翁の発言オモシロイです。
 そこには、半永久的な食糧不足という状況が前提としてあるのではないでしょうか?
 別の翁が出て来ていわく。
 「王様、こんな食糧ならなんぼでも作れますばい」
 「ほう、どれどれ。ウ−ーム、この黒いのはなんじゃ?」
 「はっ、ひじきかわかめのようにごじゃりまする」
 「これは下世話にいうカレーライスというものではないか?」
 「へぇ、そういえばまぁ、そんな紋にござんす」
 「で? 原料は?」
 「云い難いコトながら、ウンコにござんす」。

 マルヤさん、怒ったらあかんぜヨ。
 おれ、これとよくにた実行可能な食糧を開発しました。近々お伝えできるでしょう。
 人類があと300年間ぐらい、一部の者だけがボランティアで生産に励んでくれたら
あとの60億人以上は寝て暮らせます。

 食糧生産のために鉄が必要なんでしょ? 食糧を奪い合うことなどないように親分の
目とか国家が要るんでしょう? それクリアーできたわけです。
 ですが、いちばんこまるのは、またぞろまたぞろブタ・ニンゲンが増えることです。

 「気高さ志向」とは足るをわきまえ、邪悪には命を賭けて戦う気概だとみたり。

 わがほうhttp://www.you-i.org/treebbs/3/のコピーですみませんが、ちょと見
ておいてください。
  ……………………   ……………………


  複数概念にひとつの名詞を冠せたがる考えクセ《24》
 (これ以前に23種の考え方のクセを挙げたのですが……)
 上記47の裏返しの関係だが、モノゴトの「コト」が本来複数概念の集合体なのに、これへ単一名詞をかぶせて平気でいられる……そういう思考クセが見られる。

「宗教」には「集団形成作用」と「神に近づきたい・心身をより清浄なものにしたい」という大きな「ひとつづつ」の独立した領域から成っているのだが、過 去の習慣を整理しないままに、いつまで経っても「その言葉(……宗教)」にひっかかって惰性でうごき続ける。
もちろん、宗教だけではない。政治、家族、教育、会社、しごと、などなど… …一切合切の複合体を単純な名前で以って処理させる。

それら複合概念は“概念叢(がいねんそう)”とよびたい。チャクラ(神経叢)みた
いなもんやがな。
 

http://www.you-i.org


[174] Re[170]: 来た来た 投稿者:マルヤ 投稿日:2002/12/24(Tue) 23:40
谷川俊太郎小詩集「minimal」に

夜明け前に
詩が来た

・・・というのがあります。
10月、谷川氏が大阪に来られ、話を聞く機会がありました。そのときに聞いたのですが、
詩はあるとき、どこからかもたらされるものらしいのです。
詩は突然 誰かから届られると氏は言われます。
書く気になると机に座り、じっと思念して待つのだそうです。
じっと待ち続けて、やっと夜明け前に詩が来た、そのことを詩にしておられる。
しかし、そのときに来た詩は、ここに書かれてはいません。

「待てば聴こえてくる」という人がいます。
「呼べばいつでも来て聴かせてくれる」という人も、稀にはいます。
でもこのことは、実際にその稀なる人に直接会った者でなければ、とても信じられないことだと思います。

[173] Re[172]:  共通認識 投稿者:マルヤ 投稿日:2002/12/24(Tue) 19:55
紋次郎さんが、大事なこと言いかけようとしておられると思い、真摯に捉えようとしているのですが、知識不足で理解が足りないのです。

このことの答えにはならないかもしれませんが、以前に私の拙い「モノ語り」で作中の人物に、次のように言わせたことがあります。

「大王、年寄りが今まで長々と話しをしたのは、実はこの国の民族のことを言いたいためじゃ。この国の民は我が一族に限らず、実に様々な国の民族の血が流れておる。それを単一国家として、統率するには精神的な背骨が必要じゃ。それが宗教じゃと思う。……」…
「国家の基盤は…」と翁はさらに続けて言う。
「鉄と米だ」というのである。言い換えれば武器と食糧だが、この食糧を生産するためには鉄の農具が要る。つまり鉄と米を握った者が国を制すると言うのであった。
 「しかしそれよりも大事なのは、・・・」と井依翁は語る。
 国家が存続していくためには共通の歴史認識や価値観、愛国心といったものが求められる。混血民族であればなおのこと、共有の国家意識が必要であるというのである。そのためにも、この国の正しい歴史書を作ることが急がれると翁は説いたのである。……。

>  いままでは、「ある・+・○」でやってきたのです。
>  次の段階は「ない・−・×」の場での試行錯誤でしょう。

神さまがあるか無いかで言えば[167]で、
「私は20世紀は神不在の世紀だったと思い、逆に21世紀は神が復活する世紀だと思いたいたいですね。」
「また、『科学的視野を忘れないようにネ』は、神意を含めた『広角的視野を忘れないでね』と考えたいと思う者です」……
と答えた訳ですが、紋次郎さんのご提案では 、
「無いなら無いで、対処法も別途ありゃしないでしょうか。」と言われるのですね。つまり、「無い」からスタートしたほうが答えを見付け易いと。
先を急ぐようで悪いのですが、「無い」とすれば例えばどのような展開が期待できるのでしょうか?
 

[172]  共通認識 投稿者:焼尻紋次郎 投稿日:2002/12/24(Tue) 13:48
 マルヤさん、おらの言うこと「ご迷惑の域」に入りこんでしまっている……のでしたら、ハッキリおっしゃってくださいね。

 ただ、言いたいこととは、人類規模の共通認識も、数十名からなる氏族だけの共通認識もなく、神ということばだけが先走りして、「しめくくり」をウヤムヤにしている……こいつァなんとかせななるめぇ、です。

 なんでもかんでも神という最大最強の最終概念に結び付けることができたら、先ず集団形成が大成功をおさめることができる。
 そんでもって、逆に、集団形成を成功裡に導くために神作用を強化すりゃいい。

 個人規模では神さま周辺事件に遭った経験はミジンもなくても、えらぁ〜〜いあんひとたちが言うてはることやさかいに、まんず、まちげぇはないのじゃないだろうか……となる。

 神さまはあるか無いかのどちらかでしょう。ここは「+・−」とか「○×」とかの処理法をやればいいのではないでしょうか?
 いままでは、「ある・+・○」でやってきたのです。
 次の段階は「ない・−・×」の場での試行錯誤でしょう。
 

http://www.you-i.org


[171] Re[170]: フーム、ワカラン 投稿者:マルヤ 投稿日:2002/12/24(Tue) 12:46
>  そういう足が、どこかに現れていましょうか……ってんですヨ。
>  無いなら無いで、対処法も別途ありゃしないでしょうか。
>  そういうことなんですがネェ〜〜。

よく分かりません。
知識不足か、理解が及ばないのです。
考えておきます。アシカラス。

[170] 青銅の神の“足跡”ではなく   投稿者:焼尻紋次郎 投稿日:2002/12/23(Mon) 04:57
 たしか、源氏百合といいました。ひとの顔ほどの大きさで伊豆大島に自生しています。
 この百合が咲くと3キロ離れていても、どこからともなくいい匂いが漂ってきて、ああ咲いてるな……とわかるそうです。

 下で紹介した「松」がつく先生の本に掲載されていましたが、大阪の「ごくらく娘」が近づいてくると、まずいい匂いが漂い、笙ひちりきの音楽がきこえ、冬でも空から花びらが舞いおりてきたそうです。

 リリパットでは小人は3センチぐらいに描かれていますが、ここではもっと小さくして素粒子ぐらいの大きさにしましょう。
 谷川健一さんは『青銅の神の足跡』という本を書きました。
 ここでは、「足あと」では困ります。足そのものにしましょう。

 神の足が現れたときには、まずいい匂いが漂い、いい気分になって、空からキンキラキンが降り、一切の迷いがなくなる。
 宇宙の佇まいは、すべて理解できるし、ライオンがネズミを食う意味もなに矛盾なく理解できる。二つ頭の奇形児を手術する方法もわかる。

 そういう足が、どこかに現れていましょうか……ってんですヨ。
 無いなら無いで、対処法も別途ありゃしないでしょうか。
 そういうことなんですがネェ〜〜。

http://www.you-i.org


[169] Re[168]: 認めざるをえない“神”の存在ってありますか  投稿者:マルヤ 投稿日:2002/12/19(Thu) 14:12
首題はあまりに大きく、難しい問題で、その答えとすれば、「それは分かりません」となってしまいますが、
私はこう思っていますという事でなら、次のようになると思います。

キリスト教やユダヤ教などの、一神教でいうところの「唯一絶対の神」のような存在は無いと思います。
でも、宇宙に普遍的に存在するエネルギーがあって、そのエネルギーが意思(方向性)を持っていたとすれば、
それが「神」ではないでしょうか。

>従来の無反省な認識に基づく神様漬けの意識の重層に、この時点で反逆を試みるのが“つとめ”ではないだろうか

ものごとに反論をとなえるのは必要なことと思います。そのことによって修正され、その時点で、相対的により正しいと考えられる答えが導かれると思うからです。(賛成のための反対というのもある)

>二者択一に迫られます。

重大な局面で二者択一を迫られた・・・。
その時、決断をしなければならない立場にある人(選ばれた人)、そしてその決断内容と結果にも、神の意思が働いていたとみるべきでしょう。(非常に観念的で答えにはならないかもしれない)
○立ち読みした五木寛之氏の本で、「因果応報というのはある。長いスパンで見れば必ず、報い報われしているものだ」という意味のことが書いてあって印象に残っています。

>ここ50年、神国日本だったところへ持ち込んだアメリカの占領政策がありましょう……個人主義教育です。

残念ながら現在までのところは、その占領政策が功を奏し、日本人は骨抜きにされてしまいましたね。
そのひとつは、3S政策なんだそうですね。 Screen/Sex/Sportsですか。
スポーツが何故?という意見もあるでしょうが、よく考えると確かに疑念があります。
グローバリーゼイション、ワンワールドなどの美名偽善の旗印の下、世界愚民推進政策?によって、「ゴイム」にされないよう願いたいものですね。

[168] 認めざるをえない“神”の存在ってありますか  投稿者:焼尻紋次郎 投稿日:2002/12/18(Wed) 13:36
 すべてには「在ると思えばある・無いと思えばない」という観点が介在しますので、「いくら無いと否定したくても、神の存在は否応なしに認めざるをえない」という心証をわれわれに与える現象とか契機がないかぎり、従来の無反省な認識に基づく神様漬けの意識の重層に、この時点で反逆を試みるのが“つとめ”ではないだろうか……です。

 ワカランこと一切を「なにごとも神様のおぼしめし」で、片付けることはいとも簡単な生きザマです。
 しかし、極言すれば、現実には「同体は一つ、頭がふたつついて生まれた奇形児」を、全体が死ぬので どっちか切断しなければならない……という二者択一に迫られます。
 如何なる神の名において、この重いメスをふるうことになるのでしょう。

 「すぐに死ぬように生まれついているのだから、抛っておきなさい」という神さまは“神”の名にあたいしましょうか?

 自分一人のいのちの幸せがナンとかなったらそれでいいとする生きざまも結構多くなりました。卵一ヶから人間が生まれでるので、しだいにそうなったのでしょうが、ここにはもうひとつ、ここ50年、神国日本だったところへ持ち込んだアメリカの占領政策がありましょう……個人主義教育です。
 当時17歳だった姉が、学校の先生になるために、 デュ−イなんちゅう理論家の本を、買わされて本棚に飾っていたのを覚えています。
 

http://www.you-i.org


[167] Re[166]:  文明 と 視野 投稿者:マルヤ 投稿日:2002/12/18(Wed) 00:40
>白川静先生の漢字講議はすべて神意の発動に彩られていました。「申す」という漢字は ∫をもう少し長くひっぱって、
>左うえにE、右下にヨをそえた語形で、これはカミナリを表すそうです。やっぱ神はカミナリ概念からの延長だと言えそうです。

白川静先生の漢字研究には勿論最大の敬意を表します。
先生は漢字の形に、神意が宿っていると言っておられるでしょうか。
漢字のもつ呪術的な側面はあると思います。
また一方で私は、言葉が持つ発音にこそカギがあり、その固有の振動数に神意あるのではないかと思います。
祝詞や真言の中には、その発音が持つ振動数に、霊能を開発する性能を有しているものがあるとも思われます。
例えば空海が修したという「虚空蔵求聞持法」には、読経による声帯の振動を利用したカリキュラムがあったのではないかと考えられるからです。

またピタゴラスが「天球の音楽が聴こえる」と言ったのは、宇宙の星々から放射される光(電磁波)が音楽として聴こえたからでしょう。
この光のメッセージは詩人には神の言葉(神意)と聴こえたのかもしれません。これもやはり振動(波動)が関わっていたと思えます。
 
>あのときおっしゃった先生のお言葉‥‥「科学的視野を忘れないようにネ」は、けっして忘れてはいません。
>21世紀初頭とは、これまでの神がらみの意識すべてを、冷たい目でニラみかえす時間帯ではないでしょうか。

私は20世紀は神不在の世紀だったと思い、逆に21世紀は神が復活する世紀だと思いたいたいですね。
また、「科学的視野を忘れないようにネ」は、神意を含めた「広角的視野を忘れないでね」と考えたいと思う者です。


[166]  文明 と 視野 投稿者:焼尻紋次郎 投稿日:2002/12/17(Tue) 09:07
 あの本のなまえも、その本を書いた東洋大学(だったか?)の先生のお名前も忘れ
てしまいました。
 でも、あのときおっしゃった先生のお言葉‥‥「科学的視野を忘れないようにネ」
は、けっして忘れてはいません。歴史を受け継ぐということは、名前などはどうでも
いいことだと思っています。それでいいと思います。

 42年前の夏でしたか、まだ畳み敷きの東京目黒区の公民館。休憩時間に傍らの廊
下で小生を含めた若い男三人が、なにやら相談しているのをみつけて、その先生が
やってきて、わずか1〜2分喋ったあとに、別れ際におっしゃったことばが「科学的
視野を忘れないように」だったのでした。
 そのとき、先生は53歳ぐらいの現役でした。

 三人の若い男……といいましたが、うち一人は当時43歳の渡辺政治さんです。
 十年もまえ、電話で話したときには銀座で若い青年達を指導しているとのことでし
たが、まだ生きておられましょうか……。
 渡辺さんはその頃、東京から故郷の福島に帰って暮らしていると、出羽の修験道僧
の玄武さんの霊が出てきて、渡辺さんの口を借りていろんな予言や透視をやるので、
もう一回、ひとの多い東京に出て人びとの役に立ちたいと希って、上京した直後のこ
とでした。
 もうひとりが S さんで、千葉大学の経済と駒沢大学の数学を卒業し、甲府の昇仙峡
で開眼(さとり)した人物です。小生よりも一つ年うえでした。

 そのとき S さんは「心霊なんてウソっぱちにきまっている」と考えていました。
 そこで、若い男の小生に目をつけて「このちかくに長谷川わかという心霊でメシ
喰っている霊能者がいるそうな、アンタも行かないか?」と小生を誘っていたとこ
ろ、渡辺政治さんが「わたしも連れてって……」と、ハナシがまとまったときに、そ
の先生がやって来られたのでした。
 このあとのなりゆきは www.you-i.org  『長谷川わかさん』に書いています。

 白川静先生の漢字講議はすべて神意の発動に彩られていました。
 「申す」という漢字は ∫をもう少し長くひっぱって、左うえにE、右下にヨをそ
えた語形で、これはカミナリを表すそうです。やっぱ神はカミナリ概念からの延長だ
と言えそうです。

 カミナリを神として意識し始めたころから、人間の意識は神様漬けになりました。
 
 「在ると思えばある・無いと思えばない」‥‥すべてにはそのような観点が介在し
ます。
 もし、神の実在が少しでも確実に“ある”となったら、人間はすべての思考を放棄
しなければならない‥‥そういう理脈のなかに、われわれの意識は漂っています。
 21世紀初頭とは、これまでの神がらみの意識すべてを、冷たい目でニラみかえす
時間帯ではないでしょうか。

 あの先生の本は『心霊学入門』だったかな? 当時としては珍しいポケット版でし
た。先生の名前には、たしか「松」が入っていました。
 世間の狭さを知らなかった小生は「このテの学者は、捜せば何人も居るにちがいな
いと」思っていたのですが、世界中を捜しても、あのような先生は二人といなかった
のですねぇ!
 小生は計20册余を買って友人に贈りました。いまは一冊も手許にはありません。

http://www.you-i.org


[165] Re[164]: 根源に迫る 投稿者:マルヤ 投稿日:2002/12/16(Mon) 00:49

>モンダイはそれら漢字をどう発音したか、原始日本語の発音と関係あるかどう> かでしょうね

たぶん、同じことを言う事になるかもしれませんが、
やはり始めに言葉ありきで、その言葉にどんな文字をあて、どんな発音をするように表記したかがモンダイでしょうね。
また言葉を与えられることで、人人に共通して(その対象としてのものが)存在できるようになったのではないでしょうか。

こんな賢治の詩があった。

・・・
これらについて人や銀河や修羅や海胆は

宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら

それぞれ新鮮な本体論をかんがえませうが

それらも畢竟こころのひとつの風物です

ただたしかに記録されたこれらのけしきは

記録されたそのとほりのこのけしきで

それが虚無なら虚無自身がこのとほりで

ある程度まではみんなに共通いたします

(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに

 みんなおのおののなかのすべてですから)
・・・
以上宮沢賢治の詩集「春と修羅」よりその一部分


[164] 白川 静 先生 投稿者:焼尻紋次郎 投稿日:2002/12/15(Sun) 15:24
 けふ、午後2時から立命館大学の名誉教授・白川静先生の漢字に関してのウンチクが語られました。
 遊、告、尋、若などなどなど、それらの文字だできるに至った心理的発達現象を甲骨文の始原をバラシて、根源に迫ろうとする学問分野です。

 三つばかり著された辞書が紹介されていたのですが、メモしそこなったのはザンネン。
 H.Pに出てるかなぁ。

 モンダイはそれら漢字をどう発音したか、原始日本語の発音と関係あるかどうかでしょうね

 席亭さん、びっくりさせて済みません。
 おれはこれでも紳士でんがな。

http://www.you-i.org


[163] ああ、思えども 投稿者:マルヤ 投稿日:2002/12/15(Sun) 00:25
紋次郎さん、こんばんは。
忙しい師走のこの時期に、やさかはひっそり、と思し召して三連発。
派手に景気付けをしてくれましたね。アガ。

私も言葉に興味あり、日本語に近い周辺の、言葉を勉強してみたい
あれも知りたい、これもしたい、ああ、思えども″
根気が続かない、でもきっといつかは…。


[162] 耐えがたきを耐え ああ、声をあげれば   投稿者:焼尻紋次郎 投稿日:2002/12/14(Sat) 20:02
 ベトナムにはですね、54の種族がいるんですよ。
 それら……いろんな変化態を示す言語集団のうちのひとつがギリヤーク語(北海道・アムール河周辺に居住)です。
 これ、マチガイなし!。
 
 これだけ言うたら、あした死んでんヨカばい。
 やさか掲示板にイヤサカあれ。ばんざぁ〜〜い!!

http://www.you-i.org


[161] チャム族の正月 投稿者:焼尻紋次郎 投稿日:2002/12/14(Sat) 19:43
 いま BS-2 でベトナムの「チャム族」を放映しています。
 正月は10月初旬ですって。

 ア〜〜、オラシラン、おらシランバイ。

http://www.you-i.org


[160] 新嘗祭の語源  投稿者:焼尻紋次郎 投稿日:2002/12/14(Sat) 19:14
 新嘗祭のおしまいの「祭」はシナからの借用語でしょう。
 では「ニイナメ」にはどういう意味がこめられ、われわれの先祖はどのような気持で、このまつりを行ったのでしょうか?
 すでにミナシャンお気づきのとおり、これはその年に採れた新しい稲穂に感謝する神事です。
 ことばのほうも、そのままにできていました。
 ニイは「新」……これはサンスクリット語らしいです。
 ナメには三つの意味がこめられていました。古代人はなんの矛盾もなく、この三つ合同の概念を「ことだま」みたいにして意識し、活用してきたとしかかんがえられません。MULA(水源・長)にしても NUOC(水・国)にしてもそうです。このことは、日を改めて取組んでみなければなりません。

 nam はまず“年”です。そして“ひと掴み”です。そして ngam が「くちに含む」で、nem が「舐める」です。
 おそらくは……ですが、新しくできたひと掴みの米を祭壇に飾って、それを長たるものが神の前で口に含んだのではないでしょうか。
 これらはベトナム語(われわれの先祖のとなりの国)です。

 なにか、不都合があったら削除してください。

http://www.you-i.org


[159] ありがとうございます。 投稿者:吉野花郎 投稿日:2002/12/13(Fri) 00:58
早速のご返答、ありがとうございます。
また、「つぶやき」読んでくださったとのこと、重ねてお礼申しあげます。どうも、往生際が悪い性格で、何か大きなものを書き上げると、必ずその付属物を生み出してしまわないと片付かないようで...独り言のような、人様にとっては余り意味のないものとは思いつつ、書いてしまいました。

さてさて、良いお返事をいただき、早速そのページを造ってみようかな、と思います。もちろん、「聖娼」のアップと「渡来人史観」も進めますが...。

また、本日も書き込みありがとうございます。向こうでもレスさせていただきますね。

http://www.tukuyomi.net/yoshinohanao


[158] Re[157]: おじゃまいたします... 投稿者:マルヤ 投稿日:2002/12/12(Thu) 14:05
吉野花郎さん、ようおこし。

> さて、こちらのページでこのような話題、ちょっと異色で申し訳ないのですが...「執筆後のつぶやき」という文章をアップしましたのでよろしければ読んでやってください。それに関連して、ご意見を頂きたいことがあります。

私も「モノ書き」に興味を持っている者の一人です。異色の話題ではありませんので大歓迎です。
「執筆後のつぶやき」早速読ませて頂きました。
「終わらない明日」シリーズの誕生から、最終作に至る変遷が良く分かりました。それと共にハナオさん自身の‘インナー・トリップ’が分かる気がします。

>「頂いた感想のぺージ」を作ろうかと思うのです。
> 客観的に、そのようなページを作るということをどう思われますか(ずうずうしくはないでしょうか...)。それと、作るとなりましたら、マルヤさんの書き込みの文章も引用させていただきたいのですが、よろしいでしょうか。

賛成です。決してずうずうしいとは思いません。
もちろん、私の書き込み文の引用は(私のでもよろしければ)OKです。

最終作の「聖娼」と共に、歴史エッセイ「渡来人史観」も楽しみにしています。


[157] おじゃまいたします... 投稿者:吉野花郎 投稿日:2002/12/12(Thu) 01:32
マルヤさん、こんにちは。先日は書き込みありがとうございます。そして、拙い小説を読んでくださり、感謝しております。

さて、こちらのページでこのような話題、ちょっと異色で申し訳ないのですが...実は、最終作を昨日書き上げました。現在はアップの準備に入っています。「執筆後のつぶやき」という文章をアップしましたのでよろしければ読んでやってください。それに関連して、ご意見を頂きたいことがあります。マルヤさんを含めて、これまで作品の感想をくださった方々にうかがっているのですが、せっかく皆様からいただいた感想は、私にとっては宝です。ですので、「頂いた感想のぺージ」を作ろうかと思うのです。これから読もうかな、と思っている人の参考にもなるし、自分自身のためになりますので...。しかし、人様が書き込んでくださったものなので、許可を得るべきと思いまして、お伺いに上がりました。

客観的に、そのようなページを作るということをどう思われますか(ずうずうしくはないでしょうか...)。それと、作るとなりましたら、マルヤさんの書き込みの文章も引用させていただきたいのですが、よろしいでしょうか。お手数ですが、ご意見をいただければと思います。

http://www.tukuyomi.net/yoshinohanao


[156] お詫び 投稿者:横木瓜 投稿日:2002/12/09(Mon) 12:42
マルヤ様誤解したことをお詫びします。「部族長」に感銘を受けたので私としては目から鱗がとれたような気がしました。私にとりましては貴重なものです。それから以前ここでも日下部で書き込ませていただいたのですが「日下部」が別の掲示板でほかの方が使用されていたので変更しました。他の掲示板も「日下部」を変更したいのですがタイミングをみています。いまは、貴方の「部族長」をヒントにして
スクナヒコナを葛城氏の「葛」で追いかけています。今後とも宜しくお願いします。

[155] 本日で丸一年、やさか掲示板 投稿者:マルヤ 投稿日:2002/12/08(Sun) 00:44
日頃のお引き立てありがとうございます。
やさか掲示板を始めて丸一年、ホームページを開設して丸二年が過ぎました。
細々ながらも続けられましたのは、皆様方のご好意によりますお引き立ての賜物と改めてお礼申し上げます。

さて、さまざまな情報が飛び交う現在、なにが有益で正しい情報なのか、その選択が難しい時代ですが、私たちは歴史から改めて学び直さなければならないような気がします。
昨今のイラク問題でも、本当にイラクのフセインは悪玉なのか。世界の警察を標榜するアメリカ主導の、国連の行動は本当に正義なのか。マスコミは本当に正しい報道をしているのか等々、個人個人があらゆる角度から眺めて判断しなければならないようにも思えます。
新聞の報道にしても、朝日は偏っていないのか、サンケイはどうかなど、見る視点や切り口によって、まったく違った記事表現になると思うからです。
その判断の指針になるのが歴史ではないでしょうか。
そういう意味でも、歴史を考えるのは意義あることと思いたいのです。

[154] Re[153]: 籠神社 投稿者:マルヤ 投稿日:2002/12/07(Sat) 23:47
横木瓜さん、こんばんは。
参照頁の案内、ありがとうございます。それぞれの頁、拝見しました。
私も4.5年前籠神社へ参詣し、奥宮の真名井神社も参拝しましたが、その時点では既に例の「カゴメ紋」は三つ巴紋に入れ替わっていました。

その話はさて置き、籠神社の御由緒略記に、
本宮の主祭神の彦火明命は、彦火火出見命の別名とも云われ、また極秘伝によれば、山城の賀茂別雷神と異名同神であり、その御祖の大神も併せ祀られている・・・というように書かれています。
賀茂御祖の大神といえば建角身命ですから八咫烏ですね。
また籠神社・境内摂社の蛭子神社は、恵比須神社ともいい、彦火火出見命と倭宿禰命を祭るとあり、この倭宿禰は少彦名かも知れません。
ヒルコ=エビス=まれびと、ですね。貴種流離譚を思わせます。
ちなみに、奈良県宇陀郡榛原町の墨坂神社境外末社、恵比須神社の祭神は少彦名神です。

籠神社、葛城族、スクナヒコの繋がりは大いにあるかも知れませんね。


[153] 徐福に会いたい 投稿者:横木瓜 投稿日:2002/12/06(Fri) 13:28
マルヤさま、毎度こんにちわ。
スクナヒコナを個人として見るのではなく、狗族(中国西北の遊牧民・犬戎の一派)を率いてきた部族長として把握せよとのアドバイスをいただいてから、はやくも1ヶ月経ちました。改めて感謝を申し上げます。
 さて、次をご覧下さい。http://www5.nkansai.ne.jp/com/tankai/kasamatsu.htm
写真左下の森は籠神社で、その奥(写真の外)の小高いところに真名井神社があります。その参道に匏宮と書かれた瓢箪のマークがあったとおもいます。神奈備様のhttp://www.kamnavi.net/mn/kinki/manai.htmの「磐座西座 天照大神、伊射奈岐大神、伊射奈美大神 」が目に止まりました。蛭子はスクナヒコナだとhttp://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kami/yebisu.htmの説があります。「天橋立はイザナギ、イザナミの神が天への上り下りに使われた浮き橋である」はできすぎた話で、いま流行の村おこし(どこかでカッパがいるといって観光客を呼び込んだ町がありましたね。(笑))が大昔に行われたのでしょうか?
「天橋立は日本海を流れる対馬海流から派生した海流が宮津湾に入り砂を運んでくると同時に、阿蘇海(内海)に流れ出る野田川の土砂とが長い時間をかけて堆積しこのような形をつくりあげています。」は渡来人が入りやすい所です。私も中津神という所で釣りをしますが沖から与謝の海を見た場合平らな大江山が他の山とはっきり区別出来て、舞鶴湾の方にまちがえて帰港することはありません。野田川は加悦(かや)谷平野を流れる川で源流は大江山(土蜘蛛関係?)です。野田川沿いに蛭子山古墳の「おまけ」http://www1.mahoroba.ne.jp/~kidugawa/tango/kaya/kofunkoen.htmもあります。調べる程疑問が増える今日このごろです。こうなると、BC220年にワープして「徐福」にも会いたくなってきました。今後とも宜しくご指導をお願い致します。



[152] Re[151]: 時の魔法・・・・ 投稿者:マルヤ 投稿日:2002/12/06(Fri) 02:32
鏡の精 せりさん、ようおこし。

> 時の魔法はやさかさまのHPに誘ってくれました。
> 私も歴史古代飛鳥時代を時空を越えて旅をしております。

初めましてマルヤです。時の魔法に感謝します。何かを予感させるようなご訪問、とてもうれしく思います。
早速貴HP「芹摘姫」さらりと拝見しました。何か私の知らなかった世界に誘ってくれるのではとの期待がふくらみます。改めてじっくり拝読することにします。ではまた。

[151] 時の魔法・・・・ 投稿者:鏡の精 せり 投稿日:2002/12/06(Fri) 02:13
時の魔法はやさかさまのHPに誘ってくれました。
私も歴史古代飛鳥時代を時空を越えて旅をしております。

なぜ?吉野かと言いますと私は平氏所縁の末裔。
藤原氏の血を惹いているようです。
そんな訳で源平の戦で吉野山を越えて逃げ延びた姫君を追いかけています。
はじめて吉野の山桜を見たとき・・・白昼夢。
山桜の花びらが乱舞しているときに私は『この山を越えて行かねば・・・』との衝動的な想いに駆られて吉野について書かれているhPを探しておりました。
未だ流し読みしただけですが何かが解るとの想いが沸き起こり
これから学ばせていただきたいと想います。
よろしくm(_ _)mオネガイシマス
それでは又・・・・明日もすてき1日となりますように!

http://dreamcity.gaiax.com/home/seritumihime/