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イザベラ・バードの『日本奥地紀行』には、当時の日本を知るための貴重な記事が満載ですが、なかでも蝦夷地(北海道)のアイヌ部落の記事は特に興味深いものがあります。 駄馬に乗って旅をしたバード女史は、北海道をエゾ、本州を日本というように使い分けており、 当時の日本の人口は3,435万人、アイヌ人口12,000人、その他外国人5,000人と書き留めています。 (明治6年に出た人口既報によれば、当時のアイヌ人は男6,118人、女6,163人で計12,281人となっている)
バード女史は、そのアイヌ人について次のように記しています。 「蝦夷地には蝦夷の原住民であるとともに、日本全体の原住民であるかも知れないアイヌ民族が残存している。彼らはおとなしい未開人で沿岸と内陸に住み、それぞれ漁業と狩猟をして暮らしている。毛深いアイヌと呼ばれてきたこの未開人は、愚かながらも、物静かで気立てが良く、従順でもある。日本人(和人)とはまったく別の民族である。肌の色はスペインや南イタリアの住民と類似し、表情や改まったときの物腰は、アジア的というよりもヨーロッパ的である」 …と好意的で、憂いを含んだ知的な表情はキリストの再来のように美しい…というような表現までしています。
一方、バード女史一行を迎えてくれた、平取のあるコタンの酋長の家では、 「彼らは、自由に食事をしてお休みくださいと言って退いたが、酋長の母親だけは残った。80歳だというこの老女は魔女のように気味が悪かった。ぼうぼうの髪は黄色っぽい白髪で、その皺だらけの顔には断固とした不信感がみてとれた。凶眼の魔力の持ち主なのではないかとさえ思うようになった。座って私をじっと監視したり、樹皮でできたひもを結ぶ(作業の)手を休めることなく、息子の二人の嫁や機を織りにやってきた若い女たちを監視するように見ていたからである。老人特有の愚鈍さもなければ安らぎもなかった。…この女性だけは訪問者に気を許していない。私の来訪も自分の一族にとって縁起が悪いと考えているのである。今もその目は私にじっと注がれており、それを見ている私はその視線にぞっとして身震いする。」 …というように書いています。 おそらく、この老女は今までの多くの苦い経験があったのであろうと思わせます。
この後、実に不思議なことが書かれています。 それは、「外国の人には一切見せてこなかった私たちの神社をお見せします」と言って、山の上の木造の神社に案内したという記述で、その小さな白木の社には何と、象眼のある真鍮の鎧を着た歴史上の英雄・義経の像が納まっていたというのです。 「義経北行伝説」というのもあるそうなので、或いはと考えられないことない。義経は蝦夷(エミシ)の出自かも知れない。
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