ユビキタス社会について |
情報化時代といわれて久しい。いうまでもなく情報化時代の先導役はコンピュータだ。 1946年にアメリカで開発された「ENIAC」が世界初だとされているが、爾来、当初日本で電子計算機といわれたこの機械は長足の進歩を遂げ、重量が40トンもあった真空管の塊のようなこの機械を、桁違いに性能向上させ、その延長上で個人用のパーソナル・コンピュータ(PC)にまで進化させた。 現在のコンピュータは、炊飯器に使用する簡単なマイクロチップから、高度な処理能力を必要とする航空機のCPUに至るまで現代文明に無くてはならない「頭脳」として重用されている。そしてこれらコンピュータは人々に有効利用され、情報を収集し、加工し、発信する道具として現在の情報化社会を築きあげたと言っても良いだろう。これは、その情報を伝達したり保存したりする、いわゆるメディア(媒体)をも発達させた。 「情報の乗り物」といえるメディアは高度な展開をみせ、コンピュータ・情報機器の発達と相まって現代文明を支えている。 いつでも、どこでも「情報ネットワーク」につなげられる環境があり、利用者がそれをあまり意識せずに誰もが簡単に利用できる技術を、ユビキタスコンピューテイングと呼ぶ。 夢の社会がすぐそこに来ているようだが、解決しなくてはならない問題点も多い。課題は接続技術の標準化と簡素化であり、一番大切なのはセキュリティーの確保である。また、多言語対応と翻訳機能の充実のための技術開発などだ。ユーザーの中には様々な意見もあるようだ。例えば、「便利なことと、豊かであることは別ではないか」あるいは、「システムが故障してしまった時はどうなるのか」、「人間らしさが失われはしないか」、「本当にそこまで必要か疑問に思う」等々である。 便利さやスピード化の陰で、人間として最も大切な何かが失われて行くように思われてならない。 以 上 |
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参考文献:『ユビキタス・コンピュータ革命』板村 健著 『情報の社会学』小林修一、加藤春明 共著 |