真野時綱について | ||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
(やさか掲示板[504]、真野時綱の書込みの続きとなります)
[補足]
ネットで知ったのですが、真野時綱は絵画も描いていたようです。
早稲田大学東洋哲学会発行の『東洋の思想と宗教』第25号所収の矢ア浩之氏の論文、
昭和20年3月19日の、いわゆる名古屋大空襲で名古屋市立図書館が全焼しました。
『古今神學類編』のほかに、最近『神代圖解』も入手しました。
『古今神学類編』昭和18年3月国幣小社津島神社社務所刊について―
以前7,8年前に書いたことがある真野時綱について、もう少し述べておきたいと思います。 |
●以下は「神奈備・掲示板」への投稿録より
当方が投稿した真野時綱の関連記事のみ抜粋しました。それぞれ回答の書き込みを頂いていましたが、掲載の了解を得ていないので割愛しています。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 眞野時綱 H13.1.8 【眞野時綱】について調べています。どなたか教えていただけませんか。 歴史人名事典などで調べると、 ○江戸時代中期の神道学者(1648〜1717) ○時縄とも書き、トキツナと称して「藤波}を号した ○尾張津島神社の歴代の神官家である ○著書に「古今神学類聚鈔」などがある ○上京して伊勢神道、吉田神道を学ぶ。師友に松下見林、出口延佳ほか ・・・以上位しか分かりません。それで愛知県津島市神明町の津島神社を訪ねましたが ほとんど上記以外のことは分かりませんでした。 「藤波」といえば現在の伊勢神宮の祭主は藤波道忠氏だと聞いていますし、また出口延佳といえば伊勢外宮の渡会氏だと思うのですが、関連があるのでしょうか? 真野氏の出自や系譜、その著書など、ご存知の方ご教示おねがいします。 ある方にお聞きしたら、眞野時綱の晩年は春日宮?の宮司長をして、98歳まで生きた。死因はモチ(イモ)を喉に詰まらせた。著書は国会図書館と東大図書館、英国の世界資料室?にある言われるのですが?・・・インターネットで検索してもよく分からないのです …またある方の話によると 『日本神学類聚鈔』は、現物は日本には無く、東大の古文書収載分類室で、マイクロフィルムに撮ったものをコンピューターに入れて保管されている。担当は日本歴史解析特命班であるという。 本物の原本は、ロンドン大学・世界史資料分類学室にあるといい、本巻が18巻、目次本1巻の構成とも。… ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 真野時綱のこと(続) H13.1.25 お陰様で真野時綱の著書の内、「神家常談」を読みました。 貞享四年(1687)仲冬望、尾陽海部郡門眞の庄津島にて眞野時綱手謹記とあり、その序文に 「唯往々聞にし談の中に耳底にとどめし事のみ粗記て神家常談と名付ぬ・・・中略・・・同士ならん人の神学に励べき一助ともならば是予が本意の事となるべし・・略」と記され或神家の云、・・・と始まり、教訓がつづられています。 その内より一つ。 ● 或神家の云 むかしより神木を伐て血流、或は伐て神の祟たまふといふ事有り、神木は勿論子細有、さらぬ木とて精霊あることは白澤図?にも見えたり・・・・・唐の書にも所見有、木の精霊を木魂(こだま)とも樹神(こだま)とも俗にはいへり・・・とありました。 八十の木の種を播き植えて繁る野山も神の功し(ヤソノコノネヲマキウエテシゲルノヤマモカミノイサオシ)と、この日本を緑豊かな国にしてくれた【イタケルノカミ】に感謝して「さらぬ木とて出来るだけ伐らぬ」ようにしたいものですね。 前頁より・・・● 真野時綱はすごい。
まだ私は読んでいませんが、三十数篇もの著作集の内の一つ、「古今神学類編」だけでも全十九巻もの膨大な書物らしいですね。 神国篇(第一巻) 神道篇(第二巻) 宗廟篇(第三・四巻) 神階篇(第五・六巻) 祭祀篇(第七・八巻)神器篇(第九巻) 祭任篇(第十巻) 爵位篇(第十一巻) 卜筮篇(第十二巻) 他教篇(第十三巻)服忌篇(第十四巻) 国史篇(第十五・十六・十七・十八巻) 歳時篇(第十九巻)だそうです。 【注】上記で、「全19巻」というのは、古今神学類編の前身 『神学類聚』のことで、これがいわゆる第一稿。続いて目次編(類聚鈔)を加えて全20巻とし、これが第二稿と考えられる。 |
||