施朱の風習について

黒塚古墳の第三次発掘調査が行われ、1998年1月現地説明会があった。場所は奈良県天理市柳本町で、この近辺に有名な天神山古墳群がある。その時の新聞記事によれば、この古墳は古墳時代前期の前方後円墳で、墳長は130メートル。竪穴式石室が発見され、一部盗掘は受けていたものの多くの貴重な遺物が出土した。遺骸や木棺は消失していたが、副葬品として鉄剣類や鉄鏃、銅鏡など、遺物の種類も数量も多くあった。
 被埋葬者は、当時この辺りの権力中枢にいた人物だと考えられ、北枕で埋葬されていたようだ。

 特筆すべきは「三角縁神獣鏡」が32面もあったことと、石室下部にベンガラが塗布され、木棺が置かれていた台座は「水銀朱」が色濃く残っていたことである。

古墳時代には“施朱”という風習があり、埋葬儀礼として水銀朱(辰砂)やベンガラが使われていた。赤い色は呪術的に神聖視され「魔よけ」や「死者の復活」を願う意味があった。また防腐剤としての実質効果もあったはずだ。
 ベンガラも辰砂も共に赤色をしているが、ベンガラは酸化第二鉄、辰砂は硫化水銀である。このうち辰砂は古代において大変貴重で、これから製造する水銀は鍍金には欠かせない金属である。これは中国湖南省辰州から取れたため「辰砂」といい、上質の純粋なものを「丹」と呼んで不老長寿の霊薬ともされた。
『三国志』魏書東夷伝倭人条で「その山に丹あり」といわれ、日本でも産出したが初期古墳では輸入品も使われていたらしい。

この丹を使った施朱の風習は、大土木工事を伴う陵墓築造の技術と共に、大陸より朝鮮半島を経て日本に伝わったものであろう。

 日本独自の様式と見られていた「前方後円墳」が韓国南西海岸で相次いで見つかっている。築造年についての綿密な研究を待たなければ判明しないが、巨大墳墓も渡来文化の一つかもしれない。

以  上    
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