1.民俗学研究史の概略
「民俗学」とは、一言で言えば「民間の生活様式や伝統文化を研究する学問」と言えると考えられるが、福田アジオは「民俗学は全国各地において世代を超えて伝承されてきた ならわし、しきたり、いいつたえ、という民俗事象を資料として研究する学問である」という説明を加えている。
日本の民俗学は、柳田国男がその基礎を築き、弟子の折口信夫らが継承したと言えるだろう。柳田の民俗学は歴史批判から出発したという。つまり、従来の史学が文献に偏重しすぎて、真の歴史を見誤っているのではないかとの疑問をから、民俗学的な立場から日本の正しい歴史を明らかにしようとし、『民間伝承論』などを著して柳田独自の理論を展開している。そこで柳田は「重出立証法」と呼ぶ研究方法について述べている。
まず、文献史料のみに頼る歴史学の手法を批判した上で柳田は、文献や史料ではなく日常のありふれた事象に注目し、それらの事象を広域から蒐集して重ね合わせ、比較することによって、それぞれが過去からどのように変遷してきたかを知ることができるとしてこの手法を「重出立証法」と名づけ、歴史学の文献に代わる事象が民俗であって、この変遷が歴史に他ならないと言い、この方法による学問を「民俗学」と呼んだ。柳田の著した『民間伝承論』には次のようにある。
「…書物はもとより重要なる提供者と認めるが、決して是を至上最適の資料とは認めないのである。現地に観察し、採集した資料こそ最も尊ぶべきであって、書物は之に比べると小さな傍証にしか役立たぬものである」と述べて、現地調査(フィールドワーク)の重要性を説くとともに、民俗学における伝承資料の有用性を主張、かつ文献史料の安易な使用を戒めている。
ここでいうところの「重出立証法」は「比較研究法」ともいわれ、この「比較」という手法は他の学問においても重要な研究法であるが、民俗学においては、より多くの民間伝承を採集して、比較することに重点をおいた資料作成の方法である。この比較研究法の具体的な例示として柳田は「周圏論」ということを言っている。 それは民俗事象に見られる「地域差」は「時間差」でもあり、つまりは歴史的変遷を示していると言い、この現象は中央から地方へと、同心円的に伝播して行くという結論である。
以上が“柳田民俗学”のあらましだが、しかし彼が示した研究の手法は方法論として具体性に欠け問題点も多いいわれている。そこで、その問題点と柳田後の民俗学の新しい動きを述べてみる。
2・初期の民俗学における問題点
柳田民俗学の方法論は、地域性があまり考えられていない。日本が均一の文化基盤にあることによってのみ成り立つような論理になっており、この手法には無理があると考えられる。このことから、これから先「地域研究」「個別分析」の必要性が求められてくる。
また、柳田は、民俗学の対象となる人々を、平地に定住して稲作に携わる一般農民、すなわち漂白民や武士・貴族、その他の知識人を除いた人々として、「常民」と言うことばで表現しているが、現在ではこの言葉は不適当と考えられ、「常民性を持った人々」とでも言い換えなければならないだろう。
3.民俗学の新しい動き
1970年代後半になると、それまでの伝承の羅列や、単なる調査報告のようなものから、新しい民俗学構築への潮流が始まる。それは柳田の「比較研究法」に変る新しい研究の流れである。
その方法とは、個々の民俗事象を地域から切り離すことなく、あくまでも地域そのものを研究対象とする考えで、「地域研究」といわれる。これを具体的に示したのは福田アジオであった。
福田はこの方法を、「個別分析法」と名づけ、「今まで分離していた調査と研究を統一し、それぞれの調査の過程で分析を加え、一般理論化して提出することである」と提唱している。
また、民俗学の新しい方向として「都市民俗学」が注目されている。
高度成長経済以降、地方の都市化が進み、かつての民俗学のフィールドであった農山漁村が大きな変貌を遂げているなか、都市に民俗学の新しいフィールドを求めようとする動きがある。
今まで都市は人口の流動性が高いなど、固定的な伝承母体を見出すことが困難であったため、民俗学のフィールドから外されていた。しかし和歌森太郎の立てた「民俗は三世代を経て定着する」という仮説から、都市で生成した民俗は考えられる。旧城下町や門前町、寺内町・市場町・宿場町など、比較的歴史が浅くても民俗事象は展開されているからである。また、宮田昇は柳田の「都鄙連続体論」に依拠しながら部分における都市民俗が成立するといった視点を示している。
今までの民俗学では、隔絶された地方の村ほど文化の古層が保存されているという、特に根拠のない理由から主に農山漁村をフィールドとして、その調査対象とされてきた。そこは文字を良く使いこなせない、または使う必要がなかった世界だったので、学問の隙間分野であったともいえる。それゆえ学問としては未知の分野でもあり、村の古老からの伝承の聞き取りなど、必要にして貴重な作業を伴うものであったと言えよう。しかしその対象が僻村から都市に転じた場合、事情は随分と変ってくる。農山漁村に比べて都市の住人は出入りが頻繁であり、社会構造も農村とはまったく違う様相を見せる。人間関係も複雑で、その帰属する社会にも様々な集団がある。このような社会の民俗は伝承資料だけでは単純には述べられない。それだけに都市の民俗研究は興味深くやりがいのある学問となるであろう。特に京都や奈良などの古い歴史を持つ都市は、民衆生活に関する資料の宝庫であり、あらゆる方面の資料を活用して全体像を把握することが求められる。その意味でも都市の民俗研究は、具体的な民俗資料を提供してくれる豊かなフィールドとして、あらためて注目したい。
今もうひとつの民俗学の動向は、柳田が創始したといえる日本民族学の殻を破り、近隣諸国の民俗と比較する、いわゆる「比較民俗学」と呼ばれる方法で、異文化ともいえる近隣文化との比較である。比較の対象とされるのは主に韓国であり、その他では台湾中国である。東南アジア諸国もその対象となりつつあるということだ。また、近年のもうひとつの動向として在日韓国・朝鮮人、被差別部落、アイヌの研究があり、これらはこれまでの民俗学においてあまり真正面から取り上げられることはなかったといわれ、これからの民俗学の中で大きな課題になるだろうと言われている。
以 上
|