真朱の姫神 第4部・黎明編 関連写真  




始皇帝
宝玉細工の画像


秦王瀛政(前259〜前210)


瀛政は、前247年に即位した第31代秦王で、
前221年に中国史上初めて全国統一をした覇王でもある。
自ら皇帝を称し、法家主義思想のもとに強力に諸制を刷新。郡県制度の施行、
度量衡の制定、貨幣や書体の統一、道路網の整備と共に車幅まで定めた。
儒家を信用せず弾圧した焚書坑儒で有名。長城の修築や
阿房宮の造営、生前から驪山陵と呼ぶ自分自身の
巨大な陵墓の建設を推し進めていた。
五回目の巡航中49歳で病死。
秦の初代皇帝。




シルクロード起点群像(隊商の顔は西域人)

西門から少し西に行ったところにある
この石像物は、シルクロードを旅する隊商を顕したものである。
先頭に立つ駱駝を引く行路案内人の後ろには、駱駝や馬に跨った人々が続く。
それぞれの顔は少しづつ違い、様々な国の人を表しているようだが、いわゆるこの時代に
「胡人」と呼ばれていた西域の人たちだろう。公園の真ん中に置かれ
長さは30メートルもあろうかと思われる
巨大な構築物である。


秦兵馬俑坑

秦兵馬俑は、現在第一号抗から第三号抗まで公開されている
 「俑」とは人をかたどった人形のことなので「兵馬俑」とは兵士や馬かたどった死者と共に埋葬する陶俑や陶馬のことである。
 1974年、秦始皇帝陵の周辺で地元の農民により偶然発見されたこれらの兵馬俑は、始皇帝陵より1.5キロほど離れた「兵馬俑坑博物館」に展示されている。
 館内では現在、第一号坑、第二号坑、第三号坑まで、発掘したものから順次展示公開されている。
全体では一万体にもなると推定されているが、今までに将兵俑1000体余、陶馬数十体、ほかに戦車8両が出土しただけである。現在も発掘・修復作業が継続されているが、出土した瞬間から退色が進むので作業は一気に発掘とはいかない。
  兵馬俑はそのすべてが、秦に敵対していたとみられる東方を向いており、表情など一体一体が全て異なっている。
1987年に「秦始皇帝陵及び兵馬俑」として、世界遺産に登録されている。

発掘途上の兵馬俑 発見以来、休みなく続けられている発掘・修復作業

修復後、最前列に展示される 発掘直後で鮮やかな彩色が残る兵俑(写真パネルより)

upload / 2010.4.11

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